◆ギリシャ、スケッチ紀行◆
━ 素の風土を訪ねて ━


 サントリーニ島 フィラ
                                                     
                                                      F4×2 鉛筆・木炭・クレパス




2003年9/3

本日より16日までギリシャに行く。ヨーロッパは2回目。'98以来である。駅まで見送られる。妙な気持ちだ。5年前とはえらく違う。家族がいるからか。息子が満一歳と一日目にいくからか。まぁ、家族との別れがさびしいとしておくか。それなりに緊張はしているが、見たことのない世界へ行くのだという気持ちにコントロールが必要だ。バス乗り場にて溝口逸夫氏と合流。今年の5月で満90才、見た目80歳ってとこか。「先生おはようございます。」耳は遠いが、その他健康そのものである。

いつも以上に外で先生と呼ばれはずかしい。「…だいたい先に生まれると書くのだから…」となぜかいつも考えてしまう。11時かなり前には伊丹にいる。11時半頃から搭乗手続き、手荷物検査など早々に済ませる。「溝口はやおですから何でも人より早く」とよく口にしているそうだ。伊丹から成田へそんな都合良い便もあるのだなと思っていたが、搭乗口からバスで何もない所へ行き照り返しのきつい(40℃はあろう中、50人乗りの一応ジェットがやってきた。)なんとか成田まで。成田では、溝口氏の手続きミスで荷物の受け取り日を早めてもらう交渉をする。何やらそれなりに僕の仕事がありそうである。それにしても関東の人々はどこか冷たい。今日いつもよりそう思う。僕に阪神のにおいがしたのか。ちなみにマジックは、ひとケタである。(帰国前日、阪神優勝!・・)

本番前にして結構バタバタした。なんとか成田全日空ホテル泊。溝口氏、20時就寝。僕も10時には寝た。

2003年9/4

10時成田空港集合。本(言語集)など買う。今回のメンバーに初めて会う。ワールドユアーズというスケッチ旅行などを専門とする旅行社のツアーで、プロもいれば趣味の方もいる。そもそもツアーに客としては初めての参加である。いろいろ思うところもあるが顔ぶれはいつもの教室旅行を錯覚する年齢、面々である。やや上品な印象、お金持?添乗員の帰山さんよりいろいろ説明あるが、参加者A氏いわく「この会は、特に足を引っぱるものはいないし、みなのんびりルールを守り楽しむよ。帰山さんの呼ぶ人は皆そうです。」とのこと。これは少々、プレッシャーだ。

12:00 アリタリア航空787、最新機にて出発。お金持の方々だが、ほとんどはエコノミー。皆でワイワイする為らしい。方々グループで座り会話するが、なるほど毒がない。かといって裏のある話し方(よくいる、上品ぶるが己に失礼をしてくるとやたら反応するたぐいの人の話し方)でもない。一見して、こう年を老いたいと感じた。参加者では僕は最年少(ちなみに33才)、溝口氏は最長老。二人のペアはやたらと目立つ。ご婦人方は僕が気になるらしい。徐々にうちとける内そう感じた。することなすこと見られているらしい。旅行前の下しらべも何もしていないので、機内で本を読みつづけていたので「勉強家かしら?」とでもとって頂いたか?

三度の機内食ののち、ようやく、イタリアミラノへ。参加者中、喫煙者は僕一人である。ミラノでやっとと思ったが、空港内全面禁煙。乗り継ぎに2時間はあり、こっそりトイレで高校生のように─ 結構、おこげもついているし、まぁいいか─少々小さ目の乗り継ぎ便にて、ようやくアテネへ。機上から夜のアテネを見たが、色調が整っている。やや単調かとも思うが、少し外国を感じた。一度目のヨーロッパでは、機内のスチュワーデスにさえ感じたが、やはり2度目である。いや、海外3度目だからか。PM11時30分頃、着。それよりバスで市内ホテルへ。日本時間では6たして、朝の6時前。ホテルに着いたら、5日(金)になっていた。

ヨーロッパにしてもアメリカにしても西洋人はフルーツ臭いといつも感じる。この臭いでもようよう外国と思えてきた。

2003年9/5

8時、遅目の朝食をとる。8時で遅めである。10時、観光へ。アテネ市内ぐるぐる案内される。バスの中から見ているだけ。やはりツアーかと、その時は思った。

有名なパルテノン神殿が見えている。市内どこからでも見える。見えない建物は作れないらしい。向いにある危険な丘へのぼる(正しい名もあるが、やたらトラブルの多いといわれ、皆、ややこしい名よりそう呼んでしまっている)絵葉書のような風景、しかし、ヨーロッパではどこもそういえるとしたら、ここは超絵葉書か。ガイドさんの説明を柳に風で、一枚描いた。ちょっと来てよかったかな・・・

 アテネにて アクロポリスの丘をのぞむ
                                        
                                                  F4×2 鉛筆・木炭・水彩・クレパス 


続いて本題のパルテノンへ。知られているとおり、道から何からすべて大理石。つるつるにこすれている。少しアイボリーなものはローマ時代のもの。深みのある何とも不思議な色のものは2500年以上前の物らしい。日本人にはその色の方が好みか。いや、大半はその逆か。しかし、えらいものである。美しい物にはスキがないというか、いろいろなバランスに意味があるのか。それを一層強く感じさせるところに入った。そばの歴史博物館は、彫刻、レリーフなど良いものばかりである、一点目から背筋が伸びた。ギリシャ彫刻は、石膏像にして見てきたが、ここにあるのはどれも超有名というわけでない。しかし、スキのないレベルはおそらく同レベルだ。すべての像は、破損している。溝口氏いわく、占領してきた者はそこにある。象徴的なものは破壊しないと気がすまないからだとのこと。なるほど。顔のあるのはほとんど鼻をなくしている。あるいは顔のないものもある。しかし、残った形が一層、消えた部を美しく感じさせる。何事もそういうものかもしれぬが、とにかく、本当に美しい物をつくってきた人々には、何があるのか、僕にない何があったのか。そんな事を感じ、考える旅にしたいと思っていたが、一日目にたたきのめされた気分だ。一人旅ならここで一日中居たい。

興奮していて、溝口氏を見失った。出口で待つが出て来ない。あのつるつるの道をそう早く降りれぬだろうとさがすが見当ず、集合時間3分前にして急いで一人もどった。急ぐが、アテネでは走ってはいけないとのことで苦労する。確かに走ればこけて大ケガをするから、昔からそう言うのだろうが、溝口氏はいた。しかし、カメラをとられたらしい。少々、機嫌が悪いようだ。「今日はヤク日だ。ギリシャの印象は悪い。こちらの人はまずしいからこんなことをするのだ…」そうだ。ガイドさんによるとギリシャは治安のいい方。東欧の共産圏からの人々が悪いことをするとのことだったが…。

ともあれ、午後昼食。これがまた長いフルコースがでてくる。まぁ、のんびりするのだからいいか。しかし、量が多い。なんとか食い(周りからも、助けを求められ、1.5人前食う)いよいよスケッチの始まりである。

危険の丘でスケッチ。絵葉書の風景だが、世界中の人々の心に残る構図である。やはり、じかに描くのは気持ちがいい。界隈を散歩した。ヨーロッパの夕刻は光に色がある。石壁の家々は適度に光を吸収し反射する。そのかけ引きの内に色が発生する。今日は、ピンクとグリーンに見えた。光の変化の瞬きに気をとられ、あっという間の一日である。


  アテネにて 街角  F4 鉛筆・木炭・水彩



夕食、近くのダンスバーへ行く。ご婦人方々が中心の一行。ギリシャ人は夜さわぐ。ものすごいもり上りである。ダンスショーも決して誰にもマネできないものではない。昔から同じなのだろう。だから老若男女もり上る。声を出すのも好きな国民である。ただもり上る。皆もり上る。だから楽しいのだろう。それを見る日本人、農耕民族にはいつまでものりきれない時間であった。溝口氏は食事ものどを通らず、目をつぶりじっとしていた。


2003年9/6


朝5:30起床。食事のちバスで港へ。ミコノスへのクルージングである。本土から離れていく。地中海は日本の海より色が明るく深い。溝口氏いわく、栄養がないからだそうだ。なるほどカモメもいないし、トビウオも飛ばない。そしてゴミも流れていない。異国を感じる。

船中でスケッチ、クロッキーをする。溝口氏はクロッキー帳にカーボン紙を引いて、手あたりしだいギリシャ人?の女性を中心に描く。そしてカーボンで写された方を惜しげもなくプレゼントしている。船客もひまである。どんどん寄って来る。「オレも描いてくれ」とばかりである。便乗しよう。15、16才位の少年、少女達が僕に群がってきた。「よし、描こう」外人の少年は、またカッコをつけたらキマル。1、2分クロッキー。カーボンは引いていない。ボールペンはきらいだから。(下にうつすためしかたなく使うのだが。)ギリシャ語でなにやら言っている。一斉に拍手された。気に入られたらしい。美しい少女がやってきた。少しテレながら私も描いてくれという。喜んで描いた。いい顔をしている。特徴をとらえると人間味がでてきた。完成。少女は恥ずかしそうに見入った。沈黙。ちょとそのまますぎたが、やはり万国共通。女性は美人に描くべきらしい。女性はとたんに寄ってこなくなった。このへんでおいとこう。


  ミコノスへの船中、甲板にて 「少女」 F2 鉛筆  
                      
                         ・・・これでは女性は逃げていくか・・・



  シロス島にて(フェリー甲板より)
                                                     
                                                   F4 鉛筆・水彩


1時間ほどたったところでシロス島へ寄港。10分程で一枚スケッチする。かなり大型の船がかなりの乗り降りを10分でしてしまう。20分程してティノス島へ寄港。同じように10分ほどでスケッチ。イエローオーカに石がころがり、白い家々がある。島々、地中海のオリエンタルブルーにそれらの色がしっくりしている。


いよいよミコノス島が近づいてきた。大きな警笛のち、ずんずん近づいていく。他の島と色調は同じだが、スケールとバランスとリズムに印象がある。バランスが良いと感じさせる。強弱にリズムがあるのか。降りたとたん絵になると感じた。ミコノスタウンと呼ばれる家々、教会(3軒に1軒はある。)の間、バスを降り、10分程歩いたところで昼食をとる。またコース。肉のカタマリである。例によって大もりの大もり。14時すぎの昼食で、はたして夜は食えるのか。なんとかかんとか食う。30分程町を散歩した。テレカを買い、日本へTEL。向こうはちょうど22時位。何度考えても不思議である。第一声が「どしたん、こんな遅くに」と言われた。こっちは日焼け止め中である。


 ミコノス島 カストロホテルにて F4 鉛筆・水彩


今日は、このままホテルへ。カストロホテル。“リゾート”って感じである。レストラン横にプール。その外はエーゲ海。毎日続く快晴。カラッとしている。部屋は313号。白壁の中の白壁。バス、トイレ付。シャワーをあびるがどうも水がほんのり茶色。飲めそうにないが、このあたりでは当たり前か。シャワー、洗濯、そしてコースの食事。食事は朝食以外あまり楽しみでない。ヨーロッパ人は太くでかいが、朝食は意外と軽めである。その分夕食はたっぷりか。食後は、一人、ウィスキーを飲もう。これが楽しみだ。今日は、外のプールサイドで飲もうと思う。夜10時をすぎて、プールサイドへ。一人でこれを書いていたが、日本語で「ごいっしょしてよろしいでしょうか」と来た。何かと思えば、同じグループのMさんとOさん。Mさんは俳句の大先生らしい。Oさんは元議員さん。いろいろ話したが、それぞれ何かと深い方々。まぁ、共通して自分のペースを持つ方々である。最後にMさん特製のうめぼしをいただいた。うまかった。

2003年9/7

本日は、ミコノス島で丸一日である。朝、たっぷりの朝食をとり、昼は食べない。だいたいこれだけ食えば昼には腹など減らない。日本茶だけ用意して出発。昨日、いろいろ見ていたところで、まず定番を描く。まぁ新鮮である。絵になる風景というのは、写真などで何度か見たところであっても、初めてきたらやはり美しい。描いてみたくなるものだ。今回持参の最大サイズF6×2のサイズで描く。何せ白で統一されているからどう描いてもだいたい手数が少ない。が、よごれやすく基本線が最後まで残るのでやっかいだ。まぁ新鮮な内に描いた。観光地らしく「売ってくれ」とか「それは何のためだ」とかやたら話しかけられた。ギリシャは日本人的英会話なのでわかりやすい。

 ミコノスタウンにて                
                                                         F6×2 鉛筆・木炭・水彩

 ミコノス島 白い教会

                            F3 鉛筆・木炭・水彩・クレパス


一枚描いて冷静になった、ちょっと観光化されすぎかな、まぁ、初めて来たのだしいろいろ見よう。少し気になっていた野菜売りがいる。

ミコノス島にて 太った野菜売り

                                    F2 鉛筆  ・・・こっそり描いていたが、ギョロリと・・・

西洋人特有のでかい体にでかい腹。手もぶ厚い。顔はギョロリと目をむき、よく日焼けしている。よく働いて、そうなったのか、なまけて腹がでているのか。とにかくそれがやたらバランス良く、興味深いモチーフとなりそうだ。町中は、観光地の臭いがプンプンしている。日本とも共通だが、外国のは最初は新鮮である。ブラブラしながら何枚か描いた。午後、お日様の方向も逆になり、白い家々ははっきりと時の移り変わりを映しだしている。少し高台にのぼり、日なたでギラギラと描く。

この日の集合ではハプニングがあった。溝口氏が居なくなったのだ。何人も確認し、いつどこで何をしているか、皆気にして見てくれている。少し僕も安心して第一便のバスの集合にはつきそわずにいた。ようするに乗るはずのバスに乗らず、今どこにいるのかとあわてたのである。溝口氏は一人、とり残されたと思い、テクテク歩いてホテルまで向かったという。距離にして約3km。ハードなのぼりである。この暑さでは90才にはコクすぎる。心配はほんの20分程であった。半ヒッチハイク的に運良くホテルへたどりついていたのだ。皆が心配している最中、溝口氏はホテルのプールサイドでイーゼルをたてていた。この日は、そのことですべての印象がふっとんだような一日であった。


2003年9/8

 ミコノス島 高台より

                                                         F2×2 鉛筆・水彩


半日、昨日同様ミコノスで写生する。一日見ているので、新鮮味はうすれたが、光の移り変わりが頭にあるので午前の光の美しい高台でほぼ半日をついやす。エーゲ海の海と空の色は太陽に背をむけて見ると青さがきわだっている。オリエンタルブルーとかターコイズブルーとか絵具に求めてもぴたりとはいかない色である。

午後4時すぎ位か。国内線でサントリーニ島へ。ほんの30分程のフライトで、一見何もなさそうなサントリーニ島に到着する。ミコノスは船での上陸だったので、島のイメージを高めながら近づけたが、空路では、そのへんがパッとしない。バスに乗りフィラという町にあるホテルへと向かう。海抜300mをこえる高台へ向う。バスを降り「ハイこちらでーす」とうながされるようにロビーへ。

少し待ち時間があるので、ホテルの前の丘へ行けというので行ってみた。印象は一変する。300mがこんなにスケールの大きさをつくる高さなのか、見たことのない量感である。7〜80度の角度でほぼ直線にエーゲ海につきささるガケの上に、何百という白い家々と青いドーム状の教会がアクセントとなって夕刻のナナ目の光で大きな量感を巨大面によりえぐりだしている。早く描きたい。このスケールを表現したいと思った。今興味があるのは、人間が何故、巨大な自然の芳しい国土に生を求めるのか。ここへ来て僕のテーマにつながりそうな一瞬があった。

夕食はフィラの町のレストラン。白ワインがうまい、明日のイメージをふくらませて寝る。

2003年9/9

 サントリーニ島 フィラにて 朝6:50

                                                     F2 ペン・水彩


 サントリーニ島 フィラにて
           
                                                      F4×2 鉛筆・木炭・クレパス

サントリーニ、フィラを描く。巨大な岩壁の町は白黒にしよう。朝の光で恐ろしいほどのするどい岩の急勾配が火山灰の黒をよりひきしめている。白い家々とのコントラストが強烈だ。2時間格闘する。描いたという気分。

  サントリーニ島 フィラにて 
 
                                                       F4×2 鉛筆・水彩

12時にはイアへ移る為、フィラのもう一枚のポイントは1時間で描く。しかし、大スケール。眼下によく見ると豪華客船が見える。しかし画面では3cmもとれない。なんとか描いた。

バスで移動しイアへ。ここは観光の町。一瞬おもしろいとは思ったが、やはりどこか生活がないか。しかし、熱い。今年のヨーロッパは熱波で死者も出たというが、日本との逆で乾燥したするどい太陽もこたえる。溝口氏はバテぎみ。80前後のオバさま二人とで涼場で休む。横のみやげ屋で観光地になる前のイヤの漁村写真をみつけた。どこか波切の様だ。どの家もくちているが、色々の家とまずしそうな空気がどこかなつかしい。昔は、こうだったのだろう。


 サントリーニ島 イアにて

                                                          F2×2 鉛筆・水彩

屋外レストランで夕食。疲れのなかもエーゲ海に沈む夕日はすっかり黄昏色である。昼間の猛暑は何処へやら、しばし見とれてワインを傾けていた。サントリーニにはもう少し居てもいいかな。
空路ロードスへ。ホテルへ到着した時、日付が変わっていた。空港でスーツケースが7人分来ていなかった。小さな国内便は重量制限があるらしい。しかしワリきった判断だ。ケースは明日アテネを経てロードスへ7人旅である。

 

2003年9/10


  ロードス島 リンドスにて 

                                                   F6 鉛筆・水彩(画仙紙)

ロードスのホテルはリゾートである。何かギリシャのイメージとは違う気もするが、疲れもたまっており、くつろげた。終日リンドスへ。小さな城の遺跡の町。のんびりとした一日であった。溝口氏は味のある温かみある写生をしていた。エーゲ海のリゾートの少しのんびりとした所もいろいろ廻ってくると良いものか。

夜、ホテルで夕食後、久々少しゆっくり時間があった。この旅での酒飲み女性、MさんとOさんとで屋外のラウンジでロックを2杯ずつ飲んだ。考えてみれば絵を描き、夜酒を飲み寝るとは何とぜいたくなことか。しかし日本人は酒の飲める人が少ない。西洋人は日本人と比べればやはり多いだろう。体質の問題もあろうが、けっこう、文化にも微妙な影響があるのではないだろうか。ギリシャ人はのんびり後で帳じりを合わせるそうだ。アテネのオリンピック施設もあと一年でできそうもない。道路標識が出来て、下に道なし。昼間からビール飲んでるからか。日本人は飲まない時間はひたすら働く。だからそんなことはない。とか考えることもあった。

2003年9/11

 ロードス島 旧市街にて 

                                                           F2×2 鉛筆・水彩

ロードスの旧市街新市街など夕刻まで散策する。古い城の内側に観光都市が出来ている。そこが旧の方。新の方は、生活臭のする雰囲気。しかし、歴史遺産にむしろ便乗していて、旧市と同じようなものを売って生活しているか。結局、旧市で描いた。フランスのカルカッソンヌも外見と内見が意外なほど差があって、うまくとけあっていたがヨーロッパにはよくあるのだろう。



 ロードス島にて 城門 

                                            F6 鉛筆・木炭 ・・・30℃を超える炎天下の中・・・


大きな城門を2時間ほどデッサンした。石をひたすら一つづつ積み上げるように描いた。炎天下でぼーとしたり眠くなったり、それでも描ききった。意外なところでスケール感を味わえたと思っている。

夕刻、ロードスから本土ギリシャ第2の都市テサロニキへ。都会的なホテルホリデーインに泊。ピアノ音が印象的だ。

2003年9/12

何人かは今回のメインイベントと考えているメテオラへの移動日である。朝、A氏のピアノを聴いて、少し肌寒い都会の空気の中、少し市内を観光してからメテオラへの移動。およそ400kmである。外国は都会でもやはり日本とはどこか違う。エーゲ海での日々の後でもそう感じる。

気持ちのいい朝、ハプニングは突然である。我々のバスがパーンという音の後、急停止。運転手の30代くらいのアポ氏は上着をぬいで、バスのボンネットを開けた。何やらエンジンのファンベルトが切れたようだ。 20分程で出発とのことで、皆、外で、これも記念とばかりカメラをカシャカシャしたり、修理する人を描いたりしている。僕もその一人である。しかし、5分も見ていると、これは400km、その後アテネまで8〜900kmを走れるバスではないと誰もが感じたろう。3人のギリシャ人が救援しても直らず、皆いよいよ時間のつぶし方を考えはじめた。


 テサロニキにて、バスのファンベルトが切れて・・

                                      F2 鉛筆

どういうわけか、今回の旅は悪運が強い。止まったところは博物館前で、トイレももちろん美しい。しかも見学はFreeである。もちろん見物。カタログコーナーで80ユーロも使った。約2時間後、別のバスで出発。こういうとき、添乗員の帰山氏は最も出番であって、冷や汗の時だ。しかし。どこか皆にそう不安がないのが不思議である。僕もそうであった。帰山氏と居るとこう考えたくなる。「地球の裏側まできて何もなくやたらと無事に帰って来るのもおかしい」と。しかし、無事に帰れるだろうと思わせるから、そんな余裕があるのか。

約2時間後、別のバス、別のドライバーで出発となった。3時すぎ、遅い昼食をオリンポスの山並を背後にとる。通り雨に合いながら、南方にはなかった、なつかしい湿気を感じながら、涼しい空気の中、メテオラをめざす。疲れもたまっており、車中はうとうとする。先の雨で洗われたのか、適度の雲の量と地理に邪魔されない情景にメオテラの岩並が夕刻の逆行となって確認できてきた。何やら、ゾクゾクする。

 メテオラをめざす途中、オリンポスの山中にて 

                                                  F4 鉛筆・水彩

8時頃夕暮れ時の到着である、こちらは8時をすぎないと暗くならない。不気味なシルエットで岩山がそびえている。上に登るとどうなっているのだろう。暗闇の中、えぐるように一枚書いた。 夕食はすっかりメンバーとも親しくなり食後も会話がはずみ、少々のアルコールを入れ、就寝する。

2003年9/13

メテオラでの一日である。世界遺産としても代表格のメテオラだそうで、何やら人間として本能もくすぐられる何かがあった。朝、バスで険しい入りくんだ道々、ポイントへ案内される。大きく3地点をみて、本日の作戦を練る予定である。

序盤からイメージがくるった。日本での生活ではありえない世界である。1枚の岩が200mからある。それがただ漠然と立っている。地面にこけずにふんばっている。まるで自分がアリになって見上げているような錯覚である。「この辺でびっくりされてはこまる」と言われた。既にフィルムを1本使っていた。いよいよ本題の地点へ。先の岩は大き目の石になっていた。朝のナナ目の光線と冷えた岩の温度の為か、霊的な空気がただよっていた。岩の上に修道院がいくつもあった。どうやって建てたのか。どうして建てる必要があったのか。ただ、風景としてスキがなく、人間として自分が居たり自然に対して、人間としてどうあるべきか、何かその風景に答えが見つかりそうな、そんなスケールを感じさせられた。

A、B、C地点を廻った。Cは、いわゆる観光スポット、パンフレットにある風景である。しかし、僕には魅力的でなかった。スケールが他より小さい気がした。ちょうどレンズにおさまりそうであった。都合良く修道院もあるように見えた。ただ、そのパンフレットのイメージで興味を持ったのは事実である。作戦はA、B、Cと廻ることにした。時間と光の角度、変化による表情を精一杯イメージしてそうなった。

 メテオラにて A地点

                                                          F4×2 鉛筆・木炭・クレパス

Aでは朝のナナ目光で、全体には影が多く、岩のスケールをイメージ想像させるのに適していた。手前にポツリとアギオスメテリオス修道院、斜光でカッコ良く立っていた。しかし、大スケールの岩に今にもつぶされそうにみえた。2時間、量と光と格闘した。


 メテオラにて B地点

                                                        F4×2 鉛筆・木炭・水彩・クレパス

Bへ移動。そこはメテオラを全体的に見渡せる。少し冷静にながめると、不思議な静物画の様な構図である。巨大な風景がさまざまに構図を作っている。見る見る光が変わる。そして強弱がどんどんつく、変わる。2時間描きながら多くの作品イメージができた。足元はよく見ると直角に下界へとさがっている。危険な現場である。帰山氏の説明が頭にこびりついている。「ギリシャ聖教の修行僧たちは、この地でいかに自分を追い込むか、神となるか、その為にはより険しくより厳しい場所を求め、巨大な岩間に穴をつくり、そこで祈りつづけた。ある者は片足で立ち続け、限界に達した時、落下して死ぬ。その瞬間神となる為、そこまでしたという……」
この場所は人間の小ささと大きさとを同時に体感できる場所だ。自然が造り上げた、大胆で繊細なバランス、そこで人間の本能的思考を重ねると神へとつながる道がおぼろげにみえてくるのか。(本能的思考とは、神や象徴主義というところ)

午後3時をすぎ、C地点へと歩いた。めずらしく青空も消え光も表情を失っている。そんな中C地点は観光バスがひっきりなしにポイントに止まり、降りてきた、人々が数分カメラやビデオをまわし、去っていくことを繰り返していた。描くことも乗らなかった。先ほどの感覚を大事にしたいとばかり考えていた。午後5時、ポツポツときた。一瞬、メテオラの険しさがよみがえっていたが、本日の予定は終了であった。

例によって日は長く、夕立の去った岩下の街はオレンジ色の岩に囲まれ、ここち良い無気味さがただよっていた。少し土産を見た。イコンがほしかった。ずらりと並ぶ土産物屋。通りのハシの店が土産屋くさくなかった。そこで150年前のイコンというのに一目ぼれした。手が出なかった。

いろいろたずねていく内、いろいろな手描きがあるらしいことがわかった。やはりすべて手描きというのに惹かれた。80ユーロと25ユーロの2つを買う。買う側の気持ちが少しわかった。ホテルに戻る頃、メテオラはオレンジ色と空の濃い青とで強い主張をしていた。これでほぼ終了である。濃い旅だとつくづく感じていた。

2003年9/14


 デルフィー遺跡
                                                           F2×2 鉛筆・水彩
                                               ・・・一緒にスケッチしているおば様方も入れて・・

アテネへの道をバスで向う。途中デルフィ遺跡に寄る。少しの新鮮さはあった。濃いもののあとのあっさりとした遺跡。周りは整ったオリーブ畑であった。又、標高は1500m以上の高台で、1週間前あの南国とはすっかりと変わっている。バスの車窓からいろいろなことを考えながら眺めつづけた。久々に昼食を皆で取ったが非常にうまかった。どこも北国の味には親しみがわくのか。僕には、南より圧倒的にうまかった。だいたいギリシャは田舎くさい国である。人々ものんびり、おおらかで、時間はルーズ。やる時はやるがやらない時はどこまでもやらない。食い物も食えればいいか…そこまではいかないにしても素朴で豪快な味だ。北はそんな風土が少しバランスを保っているような気がした。疲れもいよいよぬけきらず、ウトウトしてる内に見覚えのある町に着いていた。

最後の食事は中華であった。半分はうまかった。良い旅の終わりはもう少しここに居たいと思うものなのか。何やら寂しい気持ちでいた。

2003年9/15


 イタリア・ミラノ・コモ湖にて、カフェで休む溝口氏
                                 
                                    F2 鉛筆 ・・・僕が描いていることに気付いているのか?・・・

帰国の日、早朝4:00起きで空路ミラノへ。ミラノで乗り継ぎの間、近くのコモ湖を観た。イタリアはやはり都会的に感じる。人も路も街も。カッコイイと感じる。国によっていろいろあるものだ。住めば都と言うが、世界中どこへ行ってもそう思うのだろうか。僕はこれからどれ位、多くの国や街と出会えるのだろう。さすがに疲れもあり、カフェで溝口氏と過ごした。そして溝口氏をクロッキーしたりして過ごした。溝口氏は黙っている。じっとしている。疲れているのか、回想しているのか。旅行中、時々口にしていたが「私はどこに行ってもこれが最後だろうと思う。あなたは一生にもう一度や二度来られるだろう」たしかに90才にしてここまで来て、又来年とはいくまい。若いうちに来たかったのか90にして見えてくるのか……疲れて頭も回らない。

成田への機中、溝口氏は気分が悪くなった。頭痛らしい。皆、慌てたが、座席で横になってもらい何とかおちついた。最後の最後でとは思っても、もうここまできたらなんとかなるさ。僕は疲れているが、眠くなかった。いろいろなことを考えた。最初正直あまり期待していなかった旅が、こんなにも印象が変わるとは、企画が良いのか、ギリシャが良いのか、天気が良いのか、日頃の行いでも良かったか。まぁ、すべてとしておくか。

こんな良い体験をさせて頂いた溝口逸夫氏、そして何の心配もなく絵に取材に集中させてくれた、ワールド・ユアーズ社長で添乗員の帰山清志氏、そして楽しい皆様方、何より妻や家族にも感謝せねば。

さぁ、じっくり描いていこう。


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