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本日より16日までギリシャに行く。ヨーロッパは2回目。'98以来である。駅まで見送られる。妙な気持ちだ。5年前とはえらく違う。家族がいるからか。息子が満一歳と一日目にいくからか。まぁ、家族との別れがさびしいとしておくか。それなりに緊張はしているが、見たことのない世界へ行くのだという気持ちにコントロールが必要だ。バス乗り場にて溝口逸夫氏と合流。今年の5月で満90才、見た目80歳ってとこか。「先生おはようございます。」耳は遠いが、その他健康そのものである。 いつも以上に外で先生と呼ばれはずかしい。「…だいたい先に生まれると書くのだから…」となぜかいつも考えてしまう。11時かなり前には伊丹にいる。11時半頃から搭乗手続き、手荷物検査など早々に済ませる。「溝口はやおですから何でも人より早く」とよく口にしているそうだ。伊丹から成田へそんな都合良い便もあるのだなと思っていたが、搭乗口からバスで何もない所へ行き照り返しのきつい(40℃はあろう中、50人乗りの一応ジェットがやってきた。)なんとか成田まで。成田では、溝口氏の手続きミスで荷物の受け取り日を早めてもらう交渉をする。何やらそれなりに僕の仕事がありそうである。それにしても関東の人々はどこか冷たい。今日いつもよりそう思う。僕に阪神のにおいがしたのか。ちなみにマジックは、ひとケタである。(帰国前日、阪神優勝!・・) 本番前にして結構バタバタした。なんとか成田全日空ホテル泊。溝口氏、20時就寝。僕も10時には寝た。 2003年9/4 12:00 アリタリア航空787、最新機にて出発。お金持の方々だが、ほとんどはエコノミー。皆でワイワイする為らしい。方々グループで座り会話するが、なるほど毒がない。かといって裏のある話し方(よくいる、上品ぶるが己に失礼をしてくるとやたら反応するたぐいの人の話し方)でもない。一見して、こう年を老いたいと感じた。参加者では僕は最年少(ちなみに33才)、溝口氏は最長老。二人のペアはやたらと目立つ。ご婦人方は僕が気になるらしい。徐々にうちとける内そう感じた。することなすこと見られているらしい。旅行前の下しらべも何もしていないので、機内で本を読みつづけていたので「勉強家かしら?」とでもとって頂いたか? 三度の機内食ののち、ようやく、イタリアミラノへ。参加者中、喫煙者は僕一人である。ミラノでやっとと思ったが、空港内全面禁煙。乗り継ぎに2時間はあり、こっそりトイレで高校生のように─ 結構、おこげもついているし、まぁいいか─少々小さ目の乗り継ぎ便にて、ようやくアテネへ。機上から夜のアテネを見たが、色調が整っている。やや単調かとも思うが、少し外国を感じた。一度目のヨーロッパでは、機内のスチュワーデスにさえ感じたが、やはり2度目である。いや、海外3度目だからか。PM11時30分頃、着。それよりバスで市内ホテルへ。日本時間では6たして、朝の6時前。ホテルに着いたら、5日(金)になっていた。 ヨーロッパにしてもアメリカにしても西洋人はフルーツ臭いといつも感じる。この臭いでもようよう外国と思えてきた。 2003年9/5 有名なパルテノン神殿が見えている。市内どこからでも見える。見えない建物は作れないらしい。向いにある危険な丘へのぼる(正しい名もあるが、やたらトラブルの多いといわれ、皆、ややこしい名よりそう呼んでしまっている)絵葉書のような風景、しかし、ヨーロッパではどこもそういえるとしたら、ここは超絵葉書か。ガイドさんの説明を柳に風で、一枚描いた。ちょっと来てよかったかな・・・ アテネにて アクロポリスの丘をのぞむF4×2 鉛筆・木炭・水彩・クレパス
興奮していて、溝口氏を見失った。出口で待つが出て来ない。あのつるつるの道をそう早く降りれぬだろうとさがすが見当ず、集合時間3分前にして急いで一人もどった。急ぐが、アテネでは走ってはいけないとのことで苦労する。確かに走ればこけて大ケガをするから、昔からそう言うのだろうが、溝口氏はいた。しかし、カメラをとられたらしい。少々、機嫌が悪いようだ。「今日はヤク日だ。ギリシャの印象は悪い。こちらの人はまずしいからこんなことをするのだ…」そうだ。ガイドさんによるとギリシャは治安のいい方。東欧の共産圏からの人々が悪いことをするとのことだったが…。 ともあれ、午後昼食。これがまた長いフルコースがでてくる。まぁ、のんびりするのだからいいか。しかし、量が多い。なんとか食い(周りからも、助けを求められ、1.5人前食う)いよいよスケッチの始まりである。 危険の丘でスケッチ。絵葉書の風景だが、世界中の人々の心に残る構図である。やはり、じかに描くのは気持ちがいい。界隈を散歩した。ヨーロッパの夕刻は光に色がある。石壁の家々は適度に光を吸収し反射する。そのかけ引きの内に色が発生する。今日は、ピンクとグリーンに見えた。光の変化の瞬きに気をとられ、あっという間の一日である。
2003年9/6 船中でスケッチ、クロッキーをする。溝口氏はクロッキー帳にカーボン紙を引いて、手あたりしだいギリシャ人?の女性を中心に描く。そしてカーボンで写された方を惜しげもなくプレゼントしている。船客もひまである。どんどん寄って来る。「オレも描いてくれ」とばかりである。便乗しよう。15、16才位の少年、少女達が僕に群がってきた。「よし、描こう」外人の少年は、またカッコをつけたらキマル。1、2分クロッキー。カーボンは引いていない。ボールペンはきらいだから。(下にうつすためしかたなく使うのだが。)ギリシャ語でなにやら言っている。一斉に拍手された。気に入られたらしい。美しい少女がやってきた。少しテレながら私も描いてくれという。喜んで描いた。いい顔をしている。特徴をとらえると人間味がでてきた。完成。少女は恥ずかしそうに見入った。沈黙。ちょとそのまますぎたが、やはり万国共通。女性は美人に描くべきらしい。女性はとたんに寄ってこなくなった。このへんでおいとこう。 ミコノスへの船中、甲板にて 「少女」 F2 鉛筆 ・・・これでは女性は逃げていくか・・・ シロス島にて(フェリー甲板より)F4 鉛筆・水彩
いよいよミコノス島が近づいてきた。大きな警笛のち、ずんずん近づいていく。他の島と色調は同じだが、スケールとバランスとリズムに印象がある。バランスが良いと感じさせる。強弱にリズムがあるのか。降りたとたん絵になると感じた。ミコノスタウンと呼ばれる家々、教会(3軒に1軒はある。)の間、バスを降り、10分程歩いたところで昼食をとる。またコース。肉のカタマリである。例によって大もりの大もり。14時すぎの昼食で、はたして夜は食えるのか。なんとかかんとか食う。30分程町を散歩した。テレカを買い、日本へTEL。向こうはちょうど22時位。何度考えても不思議である。第一声が「どしたん、こんな遅くに」と言われた。こっちは日焼け止め中である。 ミコノス島 カストロホテルにて F4 鉛筆・水彩
2003年9/7
この日の集合ではハプニングがあった。溝口氏が居なくなったのだ。何人も確認し、いつどこで何をしているか、皆気にして見てくれている。少し僕も安心して第一便のバスの集合にはつきそわずにいた。ようするに乗るはずのバスに乗らず、今どこにいるのかとあわてたのである。溝口氏は一人、とり残されたと思い、テクテク歩いてホテルまで向かったという。距離にして約3km。ハードなのぼりである。この暑さでは90才にはコクすぎる。心配はほんの20分程であった。半ヒッチハイク的に運良くホテルへたどりついていたのだ。皆が心配している最中、溝口氏はホテルのプールサイドでイーゼルをたてていた。この日は、そのことですべての印象がふっとんだような一日であった。
2003年9/8 午後4時すぎ位か。国内線でサントリーニ島へ。ほんの30分程のフライトで、一見何もなさそうなサントリーニ島に到着する。ミコノスは船での上陸だったので、島のイメージを高めながら近づけたが、空路では、そのへんがパッとしない。バスに乗りフィラという町にあるホテルへと向かう。海抜300mをこえる高台へ向う。バスを降り「ハイこちらでーす」とうながされるようにロビーへ。 少し待ち時間があるので、ホテルの前の丘へ行けというので行ってみた。印象は一変する。300mがこんなにスケールの大きさをつくる高さなのか、見たことのない量感である。7〜80度の角度でほぼ直線にエーゲ海につきささるガケの上に、何百という白い家々と青いドーム状の教会がアクセントとなって夕刻のナナ目の光で大きな量感を巨大面によりえぐりだしている。早く描きたい。このスケールを表現したいと思った。今興味があるのは、人間が何故、巨大な自然の芳しい国土に生を求めるのか。ここへ来て僕のテーマにつながりそうな一瞬があった。 夕食はフィラの町のレストラン。白ワインがうまい、明日のイメージをふくらませて寝る。 2003年9/9 バスで移動しイアへ。ここは観光の町。一瞬おもしろいとは思ったが、やはりどこか生活がないか。しかし、熱い。今年のヨーロッパは熱波で死者も出たというが、日本との逆で乾燥したするどい太陽もこたえる。溝口氏はバテぎみ。80前後のオバさま二人とで涼場で休む。横のみやげ屋で観光地になる前のイヤの漁村写真をみつけた。どこか波切の様だ。どの家もくちているが、色々の家とまずしそうな空気がどこかなつかしい。昔は、こうだったのだろう。 サントリーニ島 イアにてF2×2 鉛筆・水彩 屋外レストランで夕食。疲れのなかもエーゲ海に沈む夕日はすっかり黄昏色である。昼間の猛暑は何処へやら、しばし見とれてワインを傾けていた。サントリーニにはもう少し居てもいいかな。 空路ロードスへ。ホテルへ到着した時、日付が変わっていた。空港でスーツケースが7人分来ていなかった。小さな国内便は重量制限があるらしい。しかしワリきった判断だ。ケースは明日アテネを経てロードスへ7人旅である。
2003年9/10 夜、ホテルで夕食後、久々少しゆっくり時間があった。この旅での酒飲み女性、MさんとOさんとで屋外のラウンジでロックを2杯ずつ飲んだ。考えてみれば絵を描き、夜酒を飲み寝るとは何とぜいたくなことか。しかし日本人は酒の飲める人が少ない。西洋人は日本人と比べればやはり多いだろう。体質の問題もあろうが、けっこう、文化にも微妙な影響があるのではないだろうか。ギリシャ人はのんびり後で帳じりを合わせるそうだ。アテネのオリンピック施設もあと一年でできそうもない。道路標識が出来て、下に道なし。昼間からビール飲んでるからか。日本人は飲まない時間はひたすら働く。だからそんなことはない。とか考えることもあった。 2003年9/11 夕刻、ロードスから本土ギリシャ第2の都市テサロニキへ。都会的なホテルホリデーインに泊。ピアノ音が印象的だ。 2003年9/12 気持ちのいい朝、ハプニングは突然である。我々のバスがパーンという音の後、急停止。運転手の30代くらいのアポ氏は上着をぬいで、バスのボンネットを開けた。何やらエンジンのファンベルトが切れたようだ。 20分程で出発とのことで、皆、外で、これも記念とばかりカメラをカシャカシャしたり、修理する人を描いたりしている。僕もその一人である。しかし、5分も見ていると、これは400km、その後アテネまで8〜900kmを走れるバスではないと誰もが感じたろう。3人のギリシャ人が救援しても直らず、皆いよいよ時間のつぶし方を考えはじめた。
約2時間後、別のバス、別のドライバーで出発となった。3時すぎ、遅い昼食をオリンポスの山並を背後にとる。通り雨に合いながら、南方にはなかった、なつかしい湿気を感じながら、涼しい空気の中、メテオラをめざす。疲れもたまっており、車中はうとうとする。先の雨で洗われたのか、適度の雲の量と地理に邪魔されない情景にメオテラの岩並が夕刻の逆行となって確認できてきた。何やら、ゾクゾクする。
序盤からイメージがくるった。日本での生活ではありえない世界である。1枚の岩が200mからある。それがただ漠然と立っている。地面にこけずにふんばっている。まるで自分がアリになって見上げているような錯覚である。「この辺でびっくりされてはこまる」と言われた。既にフィルムを1本使っていた。いよいよ本題の地点へ。先の岩は大き目の石になっていた。朝のナナ目の光線と冷えた岩の温度の為か、霊的な空気がただよっていた。岩の上に修道院がいくつもあった。どうやって建てたのか。どうして建てる必要があったのか。ただ、風景としてスキがなく、人間として自分が居たり自然に対して、人間としてどうあるべきか、何かその風景に答えが見つかりそうな、そんなスケールを感じさせられた。 A、B、C地点を廻った。Cは、いわゆる観光スポット、パンフレットにある風景である。しかし、僕には魅力的でなかった。スケールが他より小さい気がした。ちょうどレンズにおさまりそうであった。都合良く修道院もあるように見えた。ただ、そのパンフレットのイメージで興味を持ったのは事実である。作戦はA、B、Cと廻ることにした。時間と光の角度、変化による表情を精一杯イメージしてそうなった。
午後3時をすぎ、C地点へと歩いた。めずらしく青空も消え光も表情を失っている。そんな中C地点は観光バスがひっきりなしにポイントに止まり、降りてきた、人々が数分カメラやビデオをまわし、去っていくことを繰り返していた。描くことも乗らなかった。先ほどの感覚を大事にしたいとばかり考えていた。午後5時、ポツポツときた。一瞬、メテオラの険しさがよみがえっていたが、本日の予定は終了であった。 例によって日は長く、夕立の去った岩下の街はオレンジ色の岩に囲まれ、ここち良い無気味さがただよっていた。少し土産を見た。イコンがほしかった。ずらりと並ぶ土産物屋。通りのハシの店が土産屋くさくなかった。そこで150年前のイコンというのに一目ぼれした。手が出なかった。 いろいろたずねていく内、いろいろな手描きがあるらしいことがわかった。やはりすべて手描きというのに惹かれた。80ユーロと25ユーロの2つを買う。買う側の気持ちが少しわかった。ホテルに戻る頃、メテオラはオレンジ色と空の濃い青とで強い主張をしていた。これでほぼ終了である。濃い旅だとつくづく感じていた。 2003年9/14 最後の食事は中華であった。半分はうまかった。良い旅の終わりはもう少しここに居たいと思うものなのか。何やら寂しい気持ちでいた。 2003年9/15 成田への機中、溝口氏は気分が悪くなった。頭痛らしい。皆、慌てたが、座席で横になってもらい何とかおちついた。最後の最後でとは思っても、もうここまできたらなんとかなるさ。僕は疲れているが、眠くなかった。いろいろなことを考えた。最初正直あまり期待していなかった旅が、こんなにも印象が変わるとは、企画が良いのか、ギリシャが良いのか、天気が良いのか、日頃の行いでも良かったか。まぁ、すべてとしておくか。 こんな良い体験をさせて頂いた溝口逸夫氏、そして何の心配もなく絵に取材に集中させてくれた、ワールド・ユアーズ社長で添乗員の帰山清志氏、そして楽しい皆様方、何より妻や家族にも感謝せねば。 さぁ、じっくり描いていこう。 |