2003年2月7日(金)〜2月16日(日) 福岡日動画廊
2002年10月1日(火)〜10月8日(火) 
大阪日動画廊

〜〜個展に向けて〜〜
私の探し物


私の生まれたのは、いわゆる万博の年です。当時の科学技術の発表会で、人間の進歩の確認といいますか、人間の存在を肯定しようとしたのでしょうか。年配の方々が時々「万博の頃で充分便利なのに」といったことを仰います。充分便利とは、人間の本能的な能力と文明、文化とがちょうど良いバランスに感じられるといった意味なのかな、と私は考えています。昨年の秋、小さな庭のある家に引越しました。どちらかというとコンクリート育ちの私としては、草花が当たり前のように成長する様に今更ながら感激しています。私と同い年の家の方は、少々ヒビも入っていますが、充分生活できています。ぼんやり考えることですが、人間の生活の中心、バランスの軸となる物は何なのでしょうか。決して進歩を止めてはいけない、しかし、普遍的な核心はあるはずで、小さな家のアトリエで探している毎日です。

 

 
 

●生きることと作ること−弓手研平さんの絵画

弓手研平さんが、このたび、日動画廊で2度目の個展を開かれることになりました。

1997年、第32回昭和会展で日勤芸術財団賞を受賞されました。昭和会展は、昭和生まれが対象
の絵画、彫刻の新人展、全国から応募があり競争率は20倍以上という厳しい難関です。1970年、 大阪万博の開かれた年に生まれ、大阪芸大を出て、現在は一水会会員、他に、いろいろな新人 公募展で受賞とされています。  

新作を拝見しました。一昨年、半月にわたりベトナムの水田地帯を取材旅行されました。種をまく人、水牛とともにまどろむ夫婦、耕す男、野菜の入った籠を抱く女など甚だ田園牧歌的 な日常の生活風景です。素朴で逞しく、メキシコ、シケイロスの強い迫力のある生命力とダイ ナミックな写実を連想させるものがあります。メコンデルタの草いきれがムンムンと伝わって きます。

弓手さんの作品が画壇で注目を集めたのは1995年、一水会「彫刻室」の荒削りなトルソー群。 続く昭和会の受賞作「裁かれる構図」という屠場で働く人の光景でした。ガッチリとした造形 と黄土色主調の素朴な形態に注目されました。そして1999年、東京、大阪の日動画廊の受賞記念展。竜骨を組み立てて船を作る人、槍をかざして野牛を追う黒い人など印象に残る主題でした。

構図、絵造りの巧さには敬服しました。が、弓手さんが求めているのは狩猟、農耕民族の姿を写生するのではなく「生きること」「作ること」の原点を作品のうえで考えようというものです。旧石器時代のラスコー、アルタミラ洞窟の動物壁面を見て厳粛にうたれるものがあった そうです。以来、弓手さんの頭の中を「牛と原人たちの生きる営みのありようが衝撃的に駆け巡り作品となっている」といいます。

そして、シベリアに抑留され、いまもシベリア・シリーズを描き続けている宮崎進さんが講演会で「毎日のようにラーゲリ(収容所)で戦友が飢えと労働で死んでいったとき<生きるとは何だろう、それは死なないことだ>と気がついて、憑き物が落ちた」と語ったのを聞いた弓手さんは「突然、黒い雲が切れたように目の前が明るくなり、絵を描くことに道が開けてきました」と述べています。

弓手という姓ですが、本家は京都府当尾の浄瑠璃寺近くにあり、室町時代から続く武人の家柄だそうです。家宝として古い弓が一張り、あるそうです。戦う人としてのDNAが触発されて 狩猟民族的な作品に向かわせたのかもしれません。また、いまのアトリエは奈良県新庄、当麻寺に近く、家庭菜園もあります。「大地からカボチャ、トマト、が実を結ぶ姿は、全く神秘そのもの、感動があります」と語る農耕民族でもあります。

弓手さんは大学時代から素描の名手でした。今回の作品に描かれているべトナムの耕す人は、 すべて本人と夫人がモデルですが、極めて写実的な顔の表情も旧石器時代のピテカントロプスに戻っています。それは画家自身に人間の原点に帰って、ものを考えるという精神思考への憧 れがあるからではないでしょうか。私たちが機能主義万能の迷路でさまよっている現在、忘れていた「生きる営み」を思い起こさせてくれる作品です。

弓手さんの作品は、何よりも健康で、人間的な、あたたかさに満ちあふれています。「ベト ナムでは水牛が放し飼いになっており、朝、仕事を終えた七、八十頭が群れをなして水浴をしている。そして夕方、飼い主が現れると、それぞれに帰っていく。人間と動物が共存している。 それが私には現代のユートピアに思われてなりません」と語っています。ともに生きること、 鋤くことの意味を問いかける絵画でもあります。

美術評論家 安井収蔵
(大阪日動画廊「弓手研平展 図録」より)


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