2005.10.18
南イタリア、10日間、スケッチツアー。初めて講師としての同行で、いよいよ出発、いや出勤である。
朝8時過ぎの電車に乗り、11時関空集合ではあるのだが、かなり早目の到着をめざす。空港で保険に入ろうと考えているのだ。万が一にも、家族を養う身としては、やはり義務といったところだろうか。
9時半過ぎには到着。8,000円の保険に入り、一番乗りかと集合場所へ。やはり帰山氏(今回のツアー企画をお願いした、スケッチ旅行を専門とした旅行会社、ワールドユアーズの社長で添乗員)は待機されていて、参加者も数名既に待たれていた。
今回の参加者は、帰山氏と僕を含めて18名。女性13名男性5名、平均年齢は6?歳ってところだろうか。事前の説明会以降、任意で提出していただいた顔写真(撮影時期状況は自由、良識の範囲内・・・)の効果もあり、帰山氏は既に全員のお顔とフルネーム、どなたと同じ教室かなどなど把握済みである。さすが!早々から頼もしいかぎりである。
11時には全員きちんと到着し、諸々手続きを経て出発前のご挨拶となった。
サクラアートサロンからは、今回事務局としていろいろ奔走していただいているNさんにわざわざ見送りに来ていただき、さすがは気配りのサクラといったところ。明るい笑顔でのご挨拶ののち、僕からは前のギリシャ旅で最初にクギをさされた 「この旅は、ルールを守って皆のんびり楽しむよ。帰山さんの呼ぶ人は皆そうです。・・・」 とのお言葉を少々アレンジして、おそれ多くも僕からクギをさしておいた。・・・まあ、大丈夫でしょうけど・・・。
関空の海外出発階は大賑わいであった。
特にヨーロッパ方面は、アジア方面の最近のゴタゴタを受けてか、さしずめ満席といった感である。Nさんに皆見えなくなるまで見送られたのち、これから約12時間の完全禁煙に備える、まあ、簡単に言えば“吸い溜め”である。更に免税店でのニコチンの購入など忙しいのだ。なにせ大混みであるので少々焦りつつ(いきなり僕が乗り遅れるわけにはいかないので・・・)なんとか無事に離陸となった。13時半ごろ。
機内にて。
食事も、各席備え付けのミニシアターにも一区切りつき、読書も疲れるし、いや、疲れてこのまま寝てしまった方がラクなのだが、そうイザ意気込めばむしろ寝付けず、結局、皆の様子を見がてらと勝手に理由をつけて機内をうろうろしてみた。
皆バラバラに、グループを即席でつくって座っている。・・・今回の参加者は僕の教室の方々が中心とはいえ、教室自体が皆違っていて、参加者どうしは殆どが初対面である。
「どうですか?しんどくないですか?」 と、ちょっぴり講師らしいこと、いや、添乗員まがいなことをしてみたり・・・。
夫婦で参加のKさんが、早くもスケッチを2枚も描いていると知る。僕が説明会で宣伝していた絵手紙帳にである。それはツヅラ折に絵巻物のように長々続いていく画帳で、表裏に描ける。そもそも前のギリシャ旅で、絵手紙の先生Hさんが考案?愛用されていたのを「これは楽しそう!」と広めたわけだ。今回早速Kさんが挑戦、既になかなか楽しそうである。
思わず、「いいなぁ〜」 とこぼしてしまう。
すると、「どうぞ!」 と新品を一冊くださった。一冊800円だそうであるが、「差し上げます!」 とのことで・・・・ありがとうございました。本画に集中したいところだが、こういう機内では遊び感覚に描けそうだし、いっちょ、楽しんでみるか!
まもなくミラノに着く。
小窓から覗く夕陽がいつまでも沈まない。夕陽を追いかけて飛んでいるんですね・・・。
イタリア時間18時45分ミラノ・ミルポンス空港着。やっとの陸地である。いつものように?暗黙の了解?でトイレへ直行。一気に吸い込む。
乗り継ぎ便にて、イタリア南東の町バーリへ、そしてホテルへほぼ定刻通りの到着である。今日からこのホテルにて3連泊である。トランクも幸いルーズなイタリア田舎とて無事に到着である。やれやれ、バスタブにたっぷりの湯を溜めて一息。午前1時過ぎには意識がなかった。
二日目 10,19
スケッチ本番。朝7時起床。
時差ボケがあるのかないのか、目覚ましの音には変わらず反応している。朝方はややひんやりとして毛布が恋しい体感温である。

バーリ駅前(ホテルより)
F2 鉛筆・木炭・コンテ・パステル
ホテルの部屋から、朝のバーリ駅のせわしくも長閑な光景が見えている。肩慣らしに1枚描く。
ヴッフェスタイルの朝食に僕が最後に合流して、たっぷりといただく。皆時差ボケを強引に修正済のお顔をされている。空はどこまでも青く、最高の秋晴れ、気持ちの良い初日である。
ゆっくり目に9時に大型バスに乗り込む。ベンツのバスである。
出発早々、バーリ市街の狭い路地に相変わらずこれでもかとばかりの路上駐車によってベンツのバスが行く手を阻まれた。日本人の感覚では、路駐をどけないかぎりとても通れない状況である。後続の車がけたたましくクラクションを鳴らしている。皆、「このままここで、ひたすら路駐者の現れるのを待つのか・・・」 と、相当な時間をロスするのでは、との空気が流れている。
しかし、帰山氏からは余裕の空気が漂っていて、不思議とその空気に安心感を与えてもらっている感じである。
「イタリア人ならなんとかしてくれるでしょう。」 と、帰山氏の見解である。

・・・いきなりバスが立ち往生・・・
現に、通りがかりのイタリア人は積極的に且つ、根拠のない憶測で、こっちにハンドルをきれだの、バックしろだの誘導してくれ、何人もの誘導で徐々に不可能に見えた角を曲がれてきている。婦人警官も登場して、なにやら観衆と論争?している。論じている間はバスも動かずであるが、帰山氏の余裕の通り、イタリア人はなんとかしてくれるもので、20分程で無事走行となった。
1時間半ほどの乗車ののち、アルベルベッロに到着する。
石を積み上げた可愛い三角屋根の集落が広がっている。アルベルベッロとは、ベッロが「美しい」で、アルが「木」という意味らしい。この、ただ石を積み上げた形は、トゥリオと呼ばれる極原始的な造形物である。この原始の形というものが、現代人にはかえって新鮮であり、むしろ近代的な建造物に負けずと存在感を誇っているように感じた。
ヨーロッパの石造りの街というのは、どこに行っても太陽の移動によって刻々と表情を変える。
午前から午後へ、光と影をイメージしながら、まずは三角屋根の凸凹のシルエットを主題に横長画面にスケッチ。帰山氏の案内も、光の移動とスケッチの時間配分とを考慮に入れた流れになっていて、トゥリオの三角屋根と石灰岩の白い壁、晴れ渡った濃紺の空とのコントラストに目を奪われる演出?となっていた。
アルベロベッロにて
M8号 鉛筆・木炭・コンテ・パステル・クレパス
始めの訪問地で、人間の原始的な造形美に接し、さっそく異国情緒に浸っているのである。
1枚仕上げて、路地を彷徨い、何人かのスケッチを指導というか、拝見というか、極気楽に過ごさせていただき、まるで一人旅にでも来たかのような時間である。
路地のはずれでは、少しくたびれた三角屋根とそれでも白い石灰の壁に紐に吊るした色とりどりの洗濯物が、万国共通の生活感を醸し出している。この原始の建物の異様さと、不思議な普遍性に包まれて、日常をすっかり忘れてのスケッチ時間を過ごしている。

アルベロベッロの一角
F4号 鉛筆・木炭・水彩・パステル・クレパス
今回の参加者16名(僕と帰山氏は除いて)の内、3名はスケッチをしない方々である。
写真取材や、せわしくない観光を思ってのご参加であったり、奥さんに同行してののんびり旅行であったり・・・。午後からはそんなH氏と、土産物街の坂道を少しうろうろしてみた。H氏は日中、奥さんのスケッチを批評というか、指導?というかをカフェでビールを片手にされていたそうで、なんとも優雅でうらやましい・・・。
ヨーロッパの観光地特有の、スケッチをしている者に 「それは何の為だ?売っているのか?いくらだ?」 といった話しかけにを適当にかわしながら、・・・日本だと 「いい趣味をお持ちですね」 が殆どだが・・・今日は3枚描いた。
ところで、近年の航空荷物の厳しい規制で、フィクサチーフ(定着液)の持ち出しがほぼ完全に出来なくなった。僕のように、木炭などでグリグリ描く者には大変不便である。
ホテルに戻って、30万都市のバーリなら画材店もあるだろうと、フロントで尋ねて地図に記してもらって町に出た。やはりイタリアの町は南の田舎とて充分オシャレで、ウィンドウのセンスに感心しつつ、なんとか画材店を見つける。待望のフィクサチーフを購入。強い味方の合流である。
夜、最初の夕食ということで、参加者の紹介などを僕の方から一言添えながら行う。
15分の予定が30分となり、相変わらず時間オーバーのクセに時差ボケはないようである。
三日目 10,20
スケッチ2日目、今日は昨日とはうって変わって曇天が似合うマテーラでの一日である。
ホテルでのたっぷりの朝食で腹ごしらえを済ませて、ベンツのバスにて1時間強のドライブにて到着。昨日のただ石を積み上げた原始の風景とは全く逆の、岩壁をくり貫いて住居群となっているマテーラの街である。
アルベルベッロの5倍はあろうか、ぐるり一周に1時間強は要する巨大な岩の住居群が広がっている。7割方は居住不可能な廃墟となっている。それらは、生活で汚れたのか、元々そうであるのか、非常に幅広いグレーの諧調をしていて、これまた日常とは異次元の空間が広がっている。
一見、薄汚れた石の街ともとれるが、よくよく眺めると、この街の土台が巨大な岩のカタマリであることに気付く。その自然の造形の上に人間の作った空間が広がっているのである。
考えてみれば、昨日の石を積み上げた積み上げるというプラスの作業に対し、マテーラは岩に穴を空けるというマイナスの作業である。しかし、そこに生活空間を創り出すという点では、互いにプラスの仕事である。
天候は都合よく曇り。この街にはやはり晴天は似合わないようだ。
マテーラにて(午前)
8号大 チャコールペンシル・木炭・コンテ・パステル・クレパス
それでも一応、陽の動きに合わせて朝、昼、夕と3枚描いた。

・・・午後からは晴れ間も覗いた。まあこれもいいものではあります・・・。
2枚目の途中には、僕の描いている真横で結婚式をおっ始めてくれて、さすがにほとぼりが醒めるまでは場を譲った。・・・端っこでなら描いていてもいいよ!って言ってくれたけど・・・

ここで結婚式をおっ始めてくれて・・・写真は撮りそこないました。

マテーラにて(午後)
8号大 チャコールペンシル・木炭・コンテ・パステル・クレパス
3枚目はどんどん廃墟へと踏み込んだ一角。犬の遠吠えを聞きつつ、怪しげな足音に少しビクビクしつつの制作であった。
マテーラにて(夕刻)
M8号チャコールペンシル・木炭・コンテ・パステル・クレパス

・・・描き終えた充実感に浸りつつ、皆のもとへ向う途中の一コマ。
夕食は、バーリの街を少し歩いて家庭的なレストランへ。
皆、3日目とは思えないうち解けようで、アルコールも加勢して大阪弁の弾け飛ぶパワフルな宴となっていた。

・・・生活感のある食卓だったけど、こうやって写真で 見るとなんだか上品に写っていますね・・・。
四日目 10、21
何故だか朝6時には快調に目が覚めている。
本日はイタリア半島南部を東から西へ、今回の旅では大きな移動をする日である。
それでも、一般的なツアーにありがちの目まぐるしい分刻みな大移動とは違って、やはりというか、さすがは帰山ワールド(既にそう呼んでいる方もいる・・・)、旅への慣れ具合、参加者の年齢、ペースといったものを充分把握していただいて、朝の集合時間からその日の大まかな時間配分などなど、実によく考えてくださっている。そして、お顔はもちろん、既に各自の性格までインプットされているようだ。
とにかくバスに乗って、途中簡易なサービスエリアで昼食をとりポンペイの遺跡へ。
世界的な観光拠点、大噴火から2000年を経たビスピィオ山の二つの頂を眺めつつ到着である。帰山氏はビスビィオ山を双子山と呼んでいたが、その辺はやはり関東の人。我々にはほぼ一致して大和の万葉の山“二上山”にその雄姿を重ねていたことだろう。・・・規模は随分違っているが・・・

・・・ちょうど大阪側からみた二上山にそっくり。

・・・ポンペイ遺跡の当時いわゆる遊郭があった所 にて、スラリとした美女が中から現れて・・・
ポンペイでは英語のガイドに案内されるが、実質殆ど帰山氏が解説している。一応通訳という形とのことなのだが、明らかにガイドの一言に対して何倍もしゃべっている。「何度も来ていますから・・・」って言っていたけど・・・
イタリアでは雇用対策として、こういうところではガイドを付けるよう義務付けられているらしい。しかし我々お絵描きツアーにはあまり意味のない決まりであって、その辺を帰山氏がテキトーにやっているようで・・・
お目当ての壁画は現在閉鎖中であった。少し鮮やかさには劣るが、別の壁画の一部をスケッチした。

ポンペイにて
F4号 鉛筆・コンテ・パステル・クレパス
さあ、これからは世界の保養地アマルフィ海岸へ。
日本の越前や三陸海岸をも凌ごうか、真っ青な絶壁の崖道をベンツの大型バスがいく。(この道には交通規制が常にあるのだが、この日は大型バスでも通してくれた。)運転手の素晴らしいテクニックで、これでもかとばかりのカーブ、と言うより鋭角、更に鋭角を繰り返した鋭いノコギリ道を進む。

・・・絶壁の道を大型バスが行く・・・。
途中、世界中の金持ち有名人の別荘が崖にひっかかるように建っている。これらは海からクルーザーなどでやって来てバカンスを過ごすのだろうか。バス内では皆の歓声、笑い声が絶えず聞こえる。
「先生!あれ買って!」 「ここに別荘建てて!!」 「ここで教室しましょう!」
・・・おいおい、なんでアマルフィに別荘建てて、それでもカルチャーやってんねん!??・・・など考えつつも、「・・・そうですね。」などとカワシ?つつ、延々くねくねしていた。
アマルフィ着。
小さな町の三ツ星ホテル“ホテルアマルフィ”へ。

ホテル・アマルフィより
F2号 チャコールペンシル・水彩
風呂のバスタブでゆっくり休めることも帰山ワールドのこだわりであって、それを満たしつつ、アマルフィのスケッチポイントに近いホテルを選んであるのだ。しかし、旅にはやはりハプニングはつきものであるのだ。今回が初めての海外でもある、Yさんの部屋で水道が破裂した。
一気にお湯が部屋中に溢れて、踵くらいまで水浸しになったらしい。Yさんは突然の出来事に右往左往、誰に助けを求めていいのやら、とりあえず河内弁を連呼してなんとか難を脱したそうな。しかし、破裂した鉄の破片でケガがなかったことは不幸中の幸いであった。
それ以後Yさんは、「水もシタタル・・・」 と呼ばれている。
すっかり暗くなったアマルフィの街は小雨が降っていた。

・・・アマルフィの町は、生活感のある色とりどりの店が並ぶ。
夕食は近くの街の庶民的なレストランでイカ墨パスタなどをいただく。そろそろデザートという時、突然真っ暗になった。ざわつく店内の奥の方からろうそくに照らされたケーキが運ばれてくる。突然帰山氏が歌いだす。「HAPPY BIRTHDAY TO YOU ・・・」 そう、突然のバースデーケーキのプレゼントの演出である。今回参加のKさんが6☆歳のお誕生日をこの日迎えられたのである。

・・・ろうそくは何故か1本・・・。
皆の大きな合唱となり、レストランのお客さんやコックさんにまで祝福の拍手をしていただき、Kさんもこの日ばかりは年を重ねてよかった?と思っていたことでしょう・・・。
なかなかニクイ演出でありました。
五日目 10、22
今日は一日中完全に自由な日である。
朝何時に起きてもいいし、何時に描いてもいいし、夕食も自由で帰山氏の案内を希望しないかぎり、全く時間の制限はないのだ。
朝は小雨がパラパラしていたが、何故だか僕らの行くとこ行くとこ晴れてくれて、今日も日中はスケッチ日和となっていた。
アマルフィ港にて
8号大 鉛筆・木炭・水彩・コンテ・パステル・クレパス
例によって、お日様の移ろいに従っての制作、午前に一枚、お昼はカフェから大聖堂をパステルスケッチ、この日は三組の結婚式があって、階段をゆっくり下りてくるカップルへの一斉の拍手に参加しつつ優雅なひと時であった。

・・・大きな扉の前で新郎新婦が抱き合っております・・・。
アマルフィの大聖堂
F4号 チャコールペンシル・木炭・パステル・クレパス
夕刻からは、世界的な夕陽の名所と言われるアングルを少し高台に上ってスケッチ。

・・・皆さん(左下スミ)も一生懸命 スケッチしています。
西日を受けたリアス式の海岸線が不思議な発酵色を放っていて、雄大でロマンチックないつまでも心に残るひと時であった。
アマルフィの夕べ
M8号 チャコールペンシル・木炭・水・コンテ・パステル・クレパス
アマルフィは観光地ではあろうが、充分に生活もあってそれらが極自然に溶け合っている。
街の八百屋の乾燥トマトなどは充分に土産品としても重宝するし、まさにえかき旅人好みのバランスのいい街である。
夕食、自由食ではあったが皆帰山氏に付いて行く。
昨晩、「食事のレベルを上げてほしい。」 との要望が多数あった。別に質素に食っている訳ではないのだが、今回の旅で皆それなりにフトコロ具合には余裕のあるご様子で、あまりにお金の使い道のなさ(物価も安いし、だいたい高級品を買うようなところへ来ていないので・・・)に、少し妙な不安感を覚えているのだ。それと、“食事にはお金の制限はなしで”との思いも強くなってきている。
そんな訳で、アマルフィ地元のレストランで帰山氏のおすすめと言えるものを片っ端から注文するといった流れでの食事となった・・・。(テーブルにもよるが・・・)
いつものことだが、我がテーブルは飲んべえが集まっていて、飲むわ食うわの大騒ぎであった。まあ、それだけ料理も美味いし、酒も会話もその場の雰囲気も美味かったのだ。テーブルで120ユーロ位だったろうか、日本でこの量、質なら4〜5万はいくだろう。飲み物代とチップを含めて一人40ユーロを払おうとしたが、「先生はいいから!」って言われて結局払いそこねた。・・・ごちそうさまです。
・・・ムール貝、トマト風、海鮮風、どのパスタもかなりイケてた。・・・写真に収めるのも忘れて、ひたすら飲んで食ってしてしまい・・・。
六日目 10、23

・・・快晴の朝、ホテル屋上より。
アマルフィに後ろ髪をひかれつつ、またバスでくねくね海岸線を小一時間。ソレント半島の町ソレントに到着である。

・・・アマルフィ海岸を行くバスか ら真上を見上げると・・・。
イタリア半島の西側中腹にひょこっと突き出たこの岬の町は、少々込み合った観光都市といった印象である。ジオットのフレスコ壁画があったはずの教会などを覗きつつ、結局中央広場のカフェでゆっくりヨーロッパ特有の街の広場をスケッチして午後の集合まで過ごした。
ソレントの広場にて
M8号 鉛筆・水彩
皆は買い物をしたり、馬車に乗ったり、汽車に乗ったり、ゆったりと昼食をとったり、もちろんスケッチしたりと、おもいおもいの時を過ごしていたようだ。

・・・ヨーロッパの街って、馬車が似合いますね。
ソレントを出発して、また小一時間ほどでいよいよ今回の旅では別格に大都市であるナポリへ。
今回の田舎ツアーのなかで、急に都会の怪しげな、ときにキケンな臭いのする町への到着である。
いつもそうだが、バス移動中に次なる目的地の地図を配られ帰山氏の丁寧な色マーカーの印しに従って説明・スケッチポイントなどを教わり、現場に出るといった流れを常としている。しかしナポリはまず、少々緩んだ危険への認識、手綱を引き締めるところから話は入っていた。
とは言いつつ、皆の行動パターンなどすっかり帰山マジックの術中に納まっていて、ナポリでもホテル到着までのつかの間の散策を、何処のツアーでも訪れるビューポイントで降りたりしたが、特に遠出を望まない空気が既に出来上がっているのであった。
ナポリ港沿いの卵城(何故にそう呼ぶかはほんとのところは解らないそう・・・でもなんとなく卵っぽい?)などの見える夕刻のビューポイントでは、当然他のツアーもひっきりなしにやって来て、15分ないし10分、いやへたしたら5分といったところもあろうか、降りて“パチリ”として「ハイ次!」といった流れを横目に、少々短時間ではあったが30分内でスケッチさせていただいた。

ナポリ海岸線にて
M8号 ペン・水彩・クレパス
少々いやみっぽいが、我々には一般のビューポイントは“息抜き”のような感覚さえあるようだ。

・・・日曜のナポリはいつもこんな感じらしい。ツヅラ干しはこういう狭 い建物の間に紐を渡してやるようだ。(写真撮り損ねた・・・。)
ナポリの町は日曜日であった。ゴミの巻き上がる荒廃した道々を車窓に見つつ、時に名物・洗濯物のツヅラ干しという生活匂に不思議とホッとさせられつつ、ナポリ中央駅前、四つ星のホテル・ニューヨーロッパに到着である。
充分過ぎるほどの湯の出るバスタブで、洗濯と入浴。これからここで帰国前の三連泊である。
さて、ソレントまでを終えて、今回の旅のほぼ三分の二が過ぎようとしているのだが、この日は少しゆっくり時間もあったので、ロビーでの作品鑑賞会となった。
皆、これまで誰がどう過ごしているのか、ようよう解ってはいるものの、はたしてスケッチはどうなのか興味も湧くところである。・・・と言うのも僕自身、同行講師といいながら、実は思う存分描かせてもらっている。通りがかったり、集まったりした際に、指導というか感想というかは言うものの、皆の作品の半分も把握していないのであった。ここらでいっちょ、ピシっとやっておく頃合でもあるのだ・・・。
とは言え、帰山氏も驚くほどの質・量のスケッチがお披露目されて、旅の充実感が目に見えて伝わってくる内容でありました。それから、写真やビール片手にのんび〜りという方々も、すっかり高度な批評術を身に付けておられることも特筆しておこう。
七日目 10、24
ナポリを拠点として、本日は世界のリゾート・カプリ島への小旅行である。
カプリ島と言えば、“青の洞窟”であろうか。
さすがのスケッチツアーもこの日はスケッチ三昧とはいかず、やはり目の前にして“一度は入ってみたい”という極自然な?その欲求はごまかすことなど出来ず、今日は皆一致団結?少々早起きをして7時半にはバスに乗っていた。

・・・朝焼けのナポリ港、波も穏やかそうである。

・・・快調にフェリーは進む。
ナポリ港より高速船で1時間強、カプリ島到着。
帰山氏はもしかして、この旅で一番ハラハラしていたろうか。この日の海の波模様は、お陰様で洞窟への入穴OKとのことで、日頃の行いでもいいのか、成すこと全てうまくいっている。(青の洞窟へは小さな小舟で更に屈んで入穴するのだが、波模様によって穴を目前にしていてもイタリア政府によって突然不許可となることもあるらしい・・・もちろん穴の前で見張っているおっちゃんが判断しているようだが・・・。)
さすがの帰山氏も、我先にと下船を急ぐ乗客の波に流されて、洞窟へと向う乗り換え船へ誘導なのか流れに飲まれているのか解らぬままになんとか我々も洞窟への小船に乗り込んでいく。
他のツアーも添乗員さんの目の色が違っている。
“相乗り”になった日本の某旅行社の添乗員から、「早くしてください!、急いでるんで!!」っと、お叱りを受けつつ、マイペースな我が御一行様の乗船のち、15分ほど冷たい地中海のしぶきに目をシバタカセながら、ただ穴へと向うのであった。

・・・いたるところの岩壁の 下に小さな穴があるが・・・。
穴が見えてきた。
途中の名も知らぬ岩壁に見られたそれらしき穴穴にも決して劣らず小さい、そのなんでもないタダの穴に、既に大挙して小船の上の人々が先を急いで並んでいる。その高さ1メートルもない海面上の穴ボコの向こうに、アレがあるのだ。

・・・この穴の向こうには・・・。
船頭さんの口喧嘩に引っ張られ、我々も5人乗りの小舟に更に海上で大股開いて乗り移って、まさにすし詰めよろしく詰め込まれ、いよいよ真の穴は目前である。
世紀の一瞬?を記録しようと、デジカメをしっかり手首に絡ませて、さあ、くぐった。

・・・怪しい日本語をしゃべる船頭さん。
真っ暗闇が数秒続いたろうか、突然の船頭さんの「ウツクシ〜イ!」「スバラシ〜イ!」という怪しく偽善的な日本語に促されて、ひょいと頭を上げてみると、舟下にはなんとも不思議な青い闇が広がっている。
海底の底の方から微かに光を発しているような、ガイドブックの写真などで見てきた写真特有の誇張された青色とはまるで異なる、この世に初めて光の現れた瞬間というか、遠い記憶のなかに埋もれていたまるで赤子がへその緒を引きずってこの世に生を出現賜うた、その一瞬に感知しうる光を再び再現させられたかのような、非日常の宇宙を感じる瞬間であった。
船頭の声もいつしかかき消されている、夢のような瞬きであった。
穴から現実に戻ってきて、船頭に「チップハズンデネ!」って、興醒めの日本語を聞かされつつ、観光としての大イベントを無事終えた。
島に再び上陸して、ケーブルで上の町へ。夕刻までスケッチ周遊である。
島の岩壁にしがみつくように家々が点在している。そのスケール感はなかなかのものであったが、何処かこの生活感のない別荘リゾートは僕にはしっくりとこない。今日は少し気の抜けた観ではあったが、一応スケッチしておく。

カプリ島にて
(ケーブル上駅より)
8号大 鉛筆・木炭・コンテ・クレパス
午後からはめったに、いやマズ立ち寄らないブランドショップなぞを覗いてみたりした。

・・・バカンスシーズンをやや過ぎていて、人通りは少 な目か?。それにしても僕は場違いなところへ来ているなぁ・・・。
そういえば「コートでも買ってきて!」って言われてたっけ・・・。まあ、せっかく遥々イタリアまで来ているし、この辺の店で物色してみるかと、“M・・・”とかいうお店へ入り適当なコートを見つけて、「これはいくらですか?」と聞いてみた。・・・なんで値札がないんだろう・・・5〜6万なら考えてもいいか・・・これまで特にお金を使ってないし・・・。
「1950ユーロです。」
・・・ナヌ!?・・・日本円で25万位??・・・これって高いの?安いの?・・・???
とりあえず、“買うかもしれないよ”ってな態度を一応しつつ(たぶん向こうもプロで見切られてはいたろうが・・・)、そそくさと退散したのであった。
いまだ土産物を何一つ買っていない不安感を引きずりつつ、岩壁をスケッチしていたAさんに先の旨を打ち明けて、そこは買い物上手なAさんに買わなくてよかったことを畳み掛けられるように教わったのであった。・・・要するに、僕のようなブランドオンチがコートなどに手を出すものではないようだ。

・・・地中海の青、サボテンに巻きつく青い青い朝 顔?、なかなかキレイだ。
Aさんの横で可愛い少女が並んでスケッチしていた。
あまりに熱心に見ていたので、Aさんが「描いてみる?」ってなわけで仲良く並んで描いているらしい。使っている画材はサクラクレパス。それも、スペシャリストを使っている。(専門家用に開発された、なかなか発色の良いいわゆる大人のクレパスである。・・・僕も愛用している。)塗りこんで、手で擦って、なかなかイッチョ前である。
さすがはサクラクレパス!? 大人から子供まで、まさに世界制覇?である。
まあ、サクラさんへのヨイショはこの辺にしておくとして、本当に可愛いひと時でした。写真もベストショットです。

・・・可愛いですね。たしか、カナダから家族で旅 行中って言ってたっけ。右端のがサクラクレパス・スペシャリスト。
・・・一応宣伝に貢献しておきます。
世界のリゾート、ブランドの島カプリまで来て、結局何一つ買わないまま、午後からはカフェでビールをご馳走になり、夕刻の舟を待つひと時に走り描きのスケッチはしたものの、開き直って言えば、今日はリラックスの一日であった。

カプリ島船着場にて
M8号 筆ペン・木炭・水彩・クレパス
帰りの船中では、Aさんを筆頭に先の僕のブランドオンチぶりとコートについて大論戦がオッ始まった。僕はハイハイ頷いて聞いていたが、周りは僕の父母同等の面々であって、母母はいかに賢く良いものを買うかに長けている。僕の未遂行為はヤリ玉に挙げられて、まさに集中砲火であった。
適当なところ抜け出して、甲板に出て一服していた。
夕刻の地中海、かすむ島影は、暫し時を忘れさせてくれていた。
客席へ戻ってもまだ論戦は続いていて、「先生!海に飛び込んだんかと思ったわ!?」って言われる始末。・・・ちっともコタエテいませんヨ・・・。・・・だいたいそのブランドって何だか未だに理解出来てませんし・・・。
八日目 10、25
スケッチ周遊の最終日である。
朝、この旅一番の快晴である。
ゆっくり目に9時の出発で、昨日同様高速船で小一時間。映画でも有名になった漁師の島・プローチダ島到着である。カラフルでいて何処か寂れた家々が、午前の逆光に渋められて、何ともいえない風合いである。それが妙に親近感を駆り立ててくれていた。

・・・朝、逆光のプローチダ島。
船着場から、狭い路地を石畳のガタゴト道に揺られながら、

・・・ガタゴト、ガタゴト狭い路地を行く。
乗り合いタクシーに分乗して15分ほどで島の南側にある岩壁の高台へ。こちらは、今度は全光にこれでもかと目映い色色を発していて、島の起伏に沿った家々や教会が、青い空と濃くも透き通った濃紺の海とに挟まれて、実に生々しく発色している。

・・・それにしても強烈な光と色彩である。
“ここは絵になる、何処を彼処を切り取っても作品になる!”
上手くは言い表せないが、人間の生活と文化を創っていく原石のような風景である、と何故か感じた。
昨日のカプリと今日のプローチダ、この緩急にはしてやられた。まさに帰山マジック、帰山氏のなせる業である。
少々大げさに書いたが、ここプローチダの当たり前の生活匂から発せられるものに、訪れた人々は何か大切なことを漠然とではあろうが感じているように思う。
スケッチしながらそんなことを考えつつ、10月末とは思えない灼熱の青空の下、目に飛び込んでくる生々しい色色に、頭の中もハレーションを起こしてしまっている。スケッチは、何かをブチマケタような作品となっていた。
プローチダ島高台より
8号大 チャコールペンシル・木炭・コンテ・パステル・クレパス
・・・生活の中に光と色彩が溢れていた・・・。
プローチダ島漁港より見上げて
F4号 鉛筆・水彩・パステル・クレパス
プローチダ島漁具など・・・作品部分
ペン・木炭・水彩・クレパス
夕刻、少し涼しくなりかけてきた頃、漁師たちが再び漁具の網を繕い始めている。足元では、ネコとイヌがじゃれあっている。
教会の5時の鐘が鳴る頃、すっかり島影に覆われた高速船の港での待ち時間、旅の終わりのひと時を惜しんでいるかのように長い影が、すっかり日焼けした皆の紅潮した顔顔を優しく撫でてくれているように感じていた。
帰りの船の甲板から、プローチダの島向こうに沈む夕陽が、いつまでも旅の記憶を忘れぬように皆の心に染み込ませてくれているように、おもいっきり真っ赤に染まっていくのを眺め続けていた。
夜、最後の夕食である。
危険な町ナポリではあるが、バスで郊外まで出かけて行きピッツェリアでの楽しいひと時となった。
少々遠くて疲れた体にはキツクはあったが、誰も文句を口にしようとはしない、そんな雰囲気があった。つまり、すっかり帰山ワールド、帰山マジックにはまりかかっているということだろうか!?。
サクラアートからの差し入れのワインやジュースで、この日はT氏の誕生日前日ということにコジツケテの乾杯。旅の残りを皆と談笑しながら、余韻に浸りながら、有意義に過ごさせていただいた。
・・・一人一枚、超大判のピザが出されて、皆苦笑いしながらホウばっていた・・・。

・・・このピザまでにもいろいろ出てきていて・・・
九日目・十日目 10、26・27
いよいよなのか、早くもなのか、帰国の日がやってきた。
朝、ゆっくりめの朝食をとりバスにてナポリ空港へ。
スケッチ旅行であったとはいえ、さすがに皆のスーツケースもそれなりに重みを増しているようだ。20キロまでという規定に引っ掛かりそうなのがいくつかあるようだ。ようだというのは、帰山氏の長年の経験によって鍛えられた“素手量り”によって解ったのだが・・・ちなみに実際に機械に乗せて量ったときとの誤差は100グラム程度であった、恐るべし!!。
それでもそこはさすがの帰山マジック?。空港荷物係官の裁量の有無をその場の空気?から察知して?、素早く且つにこやかに、我々に有利な列を選んで見事追徴金なしで潜り抜たのである。・・・日本ではまずムリだろうけど・・・。
なにはともあれ、あとは無事に日本まで帰りつくだけである。
搭乗時間までの間、ついに今まで何も買えなかった土産物をナポリ空港のショップで一気にマトメ買いとなった。何かブランド品でもと、それらしいハンドバックをワインやチョコと一緒にスーパーのようなバーコードのレジを通ってなんとか購入。・・・一応近くに居られたKさんに「まあ、その辺が妥当じゃないですか。」とのお墨付き??をいただいたことも付け加えておこう・・・。
ミラノにて関空行きのアリタミラ航空に乗り継いで、帰りは偏西風の追い風にも乗っておよそ12時間のフライトである。

・・・偏西風に乗って日本へ・・・。
・・・ふぅ〜〜。つかれたぁ・・・。
疲れたといっても、やはり心地よい疲労感であろうか。このまま日本まで眠ってしまってもおかしくないのだが、今回も帰りの飛行機では眠れなかった。いろいろと思い出しては余韻に浸ったり、また反省してみたり・・・。
反省!?・・・そう、“同行講師・弓手研平”って謳ってあったけど、それらしいことはいったいどれだけ出来ただろうか・・・。いや、出来たはずだ!?。だって、スケッチ旅行の楽しさを伝えるのだ本当の仕事のハズさ!??。・・・などと自己弁護してみたり。
まあ、とにかく、帰山清志氏さまさまである。
27日、日本時間午前9時、無事、関西国際空港到着。
皆さんさすがに疲れがお顔にでてはいるが、皆一様に明るい。荷物の出てくるまでの間、旅行中と同じくあちらこちらから笑い声が聞こえる。出発前は殆ど初対面であった面々も、いまではすっかり一体感が芽生えていて、まるで同窓生のようである。
お別れの挨拶を僕から、帰山氏からして、皆さんの目が疲れも何処かへ吹き飛んで生き生きとしている。
本当に企画して、旅してよかった。・・・また行きたいな・・・。
到着出口では、サクラアートのNさんが出発前と変わらぬ笑顔でお出迎えに来てくれていた。こういう心遣いって、なかなかほっとしますね。
Nさんの「おかえりなさい。お疲れ様。」のことばに皆、笑顔で答えて、朝の空港から家路についていった。
・・・お歳よりずっとお若くみえるOさんHさん、からだが隠れてしまうほどのお土産ものを抱えているけれど、実は誰よりもたくさんスケッチしていたS・Yさん、いつまでも仲のいいSさんご姉妹、せっかくのツヅラ折スケッチ帳をいただいたのに結局使いこなせませんでした、すいませんでしたKさんご夫婦、ご主人がすっかり批評上手になられたHさんご夫婦、・・・それからそれから・・・Hさん、Yさん、T氏、Aさん、Kさん、Tさん、・・・皆さんほんとうにお疲れ様、そして帰山さん、ありがとうございました。
P・S 旅行から半年が過ぎようやく“南イタリアスケッチ紀行”完成です。遅くなり申し訳ありません。それから、あの時の土産物のブランドバック?、現在チビのオムツ用バックとして活躍?しているようです・・・。

・・・「ブロンド髪のプロフィール」
F2号 木炭・パステル
・・・帰国後、余韻の醒めぬ頃描いた金髪の白人女性です。
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