三輪の駅前で絵地図の看板ができたその日に、その看板の前で昔の仕事仲間にばったり出会いました。「なんや、陽さんやないの、なんでこんなとこにおるの?」「Kくんこそ三輪へ写真撮りにきたの?」ひと昔前まで10年以上もPR誌の取材で一緒に全国行脚をしていたカメラマンK君との再会でした。
聞けば、ボクたちがその日の夜から始める町屋のライトアップの写真を撮りに来たといいます。何のために?「三輪で写真ギャラリーを開きたいねん」これまた意外な返事。いえいえ、彼にとっては不思議でもなんでもありませんでした。彼の両親は三輪の出で、彼の今は亡きお母さんの実家のまん前のお宅もライトアップする町屋だったのです。
取材旅行の宿などで、子供の頃は夏休みは三輪に入り浸りだった話をよく聞いていました。ボクはボクで子供の頃の夏休みは、奈良市に隣接する京都府の田舎の父の実家に入り浸っていましたから、互いの田舎の話で盛り上がった記憶がよみがえってきます。彼は今年の還暦を機に、商業カメラマンの商業の2文字をとって写真家生活に入る生活設計をしていて、その中で、亡き父母の田舎である三輪が心のふるさととして大きくクローズアップされてきたのだとか。
K君が「三輪で写真ギャラリーを開きたい」病に感染したのは、昨年夏、大神神社参道沿いに格好の古民家物件があったことから。その話は結局ポシャッたが、彼の第二の人生設計は奥さんともども三輪移住に向かってぐんぐん膨らんでいったそうです。夏以降は写真ギャラリーを開いたとき飾る三輪の写真を撮りだめするため、何かの行事や刻々変化する季節の風景を撮りに足しげく通っているとか。ここまでがライトアップイベント準備時間に絵地図看板の前でした立ち話。
彼の三輪に還る赤い糸は、小学生の頃休みといえば祖父母の家に入り浸っていた、というのと結局つながっているのだろうなと思いました。その赤い色は柿の実の色であったり、巫女さんの緋袴の色の記憶なのかもしれません。実はその後彼の撮りだめしている三輪の写真を見せてもらって、そんな思いがしたのです。
ボクも祖父の家の記憶を辿ってみると、キューリをもいで塩を付けて頬張ったり、湧き水でといで、薪のへっついさんで炊いたご飯、おひつのご飯が冷めても美味しかった記憶などが、今の田舎志向、奈良大好きにつながっているのかも。熟年からの進む道は幼少の頃の記憶の延長にあるかも知れないなとK君をみて思うのでした。それにしても、K君の今の展開は親戚の前で「三輪で写真ギャラリーを開きたいねん」と夢を語ったことから生まれていることに注目したいと思います。
次回はそんなK君がバイクを飛ばして改めて我が家を訪ねてくれたお話です。(陽)


