東京から地元奈良・桜井に帰って、寅さん記念館で観た昭和の情景を思い起こしていました。それは陽の記憶している昭和30年前後の関西の情景とも重なります。庶民の家の座敷はたいていこんな感じです。草野球の原っぱ。かくれんぼした路地裏。お小遣いを握り締めて毎日のように通った紙芝居、駄菓子屋。日光写真で遊んだ縁側。ボクのそんな記憶が湧き水のようにあふれてきます。
どこの家も開けっぴろげでした。おばちゃんたちの井戸端会議も、昨夜のエッチの話で盛り上がっています。子供たちはわからないなりに聞き耳を立て、秘密の基地でのお医者さんごっこで大人の真似事をしたりしました。男の子と女の子がおしっこするところを見せっこするような、他愛のないものでしたが。世間みんなが開けっぴろげだったので、特別な性教育を受けなくても男と女の違いなどを自然と身につけたものです。
祭り・縁日の「晴れの日」と質素に暮らす「褻(け)」日の区別はきっちりとありました。敗戦後のまだまだ貧しい時代でしたから、大根の収穫期に友達の家へ行くと、どこの家でも大根を醤油味で炊いたものがおやつと決まっています。その頃はないよりまし程度に思っていましたが、最近ある神社で炊き出しをしてくださった大根炊きをよばれて、心の底から美味しくいただきました。ただ、昔の褻の日の食べ物が、今では晴れの日のまかないになっているのはちょっと愉快ですが。
女の子たちは一張羅の着物を着て、髪には花かんざしでおめかしして縁日に行きました。男の子はどんな格好をしてたっけ?不思議と思い出せません。後年中学の同級生のG君が若い身空で寅さんのような啖呵売をしているのに出くわしたことがあります。「秋茄子は嫁に食わすなというやろ」てなことを言いながらボクにウインクを送ってきました。どっきりして彼が何を売ってたのやら、これも思い出せません。啖呵売が晴れの縁日の華であったことはボクの中でも確かな記憶なのです。
寅さんのミニチュアワールドにあったお茶屋さんと、木彫屋さん。陽の田舎が奈良に近い京都でお茶の産地だった関係で、お茶にも晴れの日のお茶と褻の日のお茶があるのが普通のことでした。普段のお茶は銅(アカ)の茶瓶にたっぷり沸かしおいた焙じ茶。お祭日はお茶屋さんから養子に来た叔父が上茶と呼ばれた玉露を小さなお猪口のような湯のみに注いでくれました。この叔父は毎日骨太の自転車に小間物を積んで行商に出ていて、晴れの日は、お酒は飲めないけど、家で本当にゆったりとお茶で寛いでいました。
木彫りの店で思い出すのは、小学校の同級生のケンちゃんの家です。お父さんが桶作りの職人さんで、よく仕事場へ入り込んで邪魔していました。お父さんから竹のスキーのつくり方なんかを教わったので、竹を割って火にあぶって曲げることくらい今でもできるほどです。川の傍の家だったので土手で草スキーで遊びました。そういえば、竿竹売りの「さぁ~お~だぁけぇ~ぇ」や、金魚屋の「き~んぎょえ~ぇ~きんぎょ~」と天秤棒担いだ物売りの声も甦ります。これは褻の日のなんとも長閑な思い出の言の葉風景です。(陽)



