ちょっとそこまで旅気分

住んでいた下宿の入り口 田舎娘が一ヶ月悩んで見つけた米屋さん

パンを食べ続け、赤点滅を渡れなかった頃を思い出しながら歩く吉田神楽岡町~近衛町

ありました!学生時代に借りていた部屋に行く通路の入り口。当時は木戸だったけれど、今はサッシになっただけでそのまんま残ってました。このドアを開けると最初にある離れの6畳一間が四年間住んでいた部屋。私と入れ替わりに京都を去る兄の下宿から小さな冷蔵庫と水屋をリヤカーで運んだ記憶があるんだけれど、リヤカーなんてどこで借りてきたんだったっけ…。

住人は女性ばかり7~8人で、学生、百貨店勤務のおばちゃま、1人暮らしのおばあちゃん、若いOL姉妹…とさまざま。もちろん共同トイレに共同炊事場、ピンクの公衆電話で、家賃は確か一万円だったかな。まだ京都に市電が走ってた頃だもんね。

初めての一人暮らしでとまどったことは、それはもうたくさん。それまでは、貧乏人の箱入り娘で暮らしてましたから。例えば、お米。実家にいる時は、母親に頼まれていつもの米屋のおっちゃんに「お米持ってきて」と言いにいけば、それで完了。清算のことも量のことも種類のことも、何も考えずただ「持ってきて」と言えばおじさんが配達してくれた。京都で1人暮らしを始めてハタと気がつきました。米はどこで買えばいいのだ!野菜は八百屋さん、魚は魚屋さん、お米は米屋さん。頭ではわかってても、どこに米屋さんがあるのか具体的にどうしたらいいのかさっぱりわからないのです。結局5月に母親が来て近所の米屋さんを探してくれるまで、パンばかり食べていました。今からは信じられないくらい甘ちゃんでしたねー。上の写真はその時のお米屋さん。当時はパン屋さんという雰囲気の方が強かった記憶があるけれど、同じ場所でしっかりと営業されてました。

「赤の点滅の信号」。これもとまどったひとつ。赤は止まれ、黄色は注意、青は進め。そんなこたぁわかっちゃいるが、「赤の点滅の信号」の渡り方がわからない。田舎では信号なしの生活だったし、バイクの免許も持ってなかったからそんな勉強もしたことがない。花の19歳の田舎娘には、他人様に何かを聞くことが、恥ずかしくって、恥ずかしくって、とってもできないのでありました。

下宿のある吉田近衛町から吉田神楽岡町あたりを歩いてみました。同級生が下宿する銀閣寺道を目指して、自転車でフーフーいいながら走った坂道。大正時代に建てられた古い民家が立ち並ぶ情緒あふれる町並みだけれど、当時は風を切ってグングンとペダルをふんで、脇目もふらず前に進むことしか考えてなかったな。(ひろ)

2008-11-25

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