万葉文化館からスタートして飛鳥京と藤原京の間を歩いた後半です。今回は藤原京跡で印象に残った風景を写真を中心にレポートします。藤原京跡そのものの考古学的なことはあまり考えず、風景や心地よい風にただひたっていました。
古代の都の遺跡保存に両極端の方針があるようです。710年に藤原京から遷都した奈良の平城京跡では、朱雀門の復元にはじまり、現在建設中の大極殿など主だった建物から庭まで往時の宮殿の全容が復元されようとしています。一方藤原京跡には何もありません。地元ボランティアの手で植えられたコスモスの海に大和三山の耳成山、天の香具山が浮かぶだけという景観の方がボクにはとても魅力的でした。
藤原京跡から見た天の香具山です。みていて持統天皇が藤原宮で詠んだの有名な万葉歌を今風に言い換えればこんなかなと思いました。
春が過ぎて 夏が来たらしい ほらみて、天の香具山に(かかる雲が) 真っ白な衣が干してあるみたい。
この日最初に集合した万葉文化館にこの歌碑があって
「春過ぎて 夏来るらし 白栲の衣干したり 天の香具山 (巻一、二八)」
とありましたが、ボクにはやっぱり小倉百人一首の
「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」
の方がなじみがあります。実際に現場に立ってみると、手前の民家に白い衣が干してあれば見えるが、天の香具山をみて夏が来たなと感じるのは夏の雲を白い衣に見立てたのではないかと考えたわけです。
奥明日香・稲渕の棚田オーナーとして大阪から通っていた頃地元の農家の女性たちが、1400年近く前のことなのに「持統天皇が鵜野讃良皇女(うののさららひめみこ)であった頃から、いつもこの道を通って吉野の温泉に通ってはったんよ」と親しみを込めて言われるのを微笑ましく聞いたものでした。その女性たちが地元活性化グループ「さらら」を結成したネーミングの由来でもあります。今年の春この女性グループを母体に稲渕より一つ奥まった栢森に素敵なカフェ・ランチ処「奥明日香・さらら」が生まれました。
天の香具山中腹の柿畑越しに見た耳成山です。手前に大きいビルが一つ見えますが、次の藤原京跡からみるとそんなに気になりませんでした。ビルやゴルフ練習場のネットが景観に溶け込んでいないのを見るのはつらいものがあります。
コスモスのじゅうたんの下には1300年以上前の藤原京遺跡が眠り、コスモスの海の向こうに耳成山が浮かびます。旅人を古代にタイムスリップさせてくれる景観という財産をみんなの合意で一定のルールをつくり守って行きたいものだと強く思いました。(陽)



