飛鳥京・藤原京~平安京踏破てくてくレポート

「古代の要衝、地元桜井を歩く」

まほろばの道を歩く10区間のうち、都合3回にわたって歩いた地元桜井。その中で分かったことは、思っていた以上に古代の桜井は交通の要衝としてとんでもなく賑やかなところであったということです。飛鳥京、藤原京と奈良の平城京、さらには伊勢路、大和川の水運で難波津にも結ばれていたということは、大陸にも開かれた内港だったということにもなります。桜井の今まで知らなかったことを中心に4回に分けてレポートします。

海柘榴市って何?歌垣って何?

2001年からの桜井市新住民なので、今回訪れた海柘榴市(つばいち)という地名、その海柘榴市で古代に行われていた歌垣って何のこっちゃというのもびっくりした一つ。写真の「さくらい万葉まつり」で海柘榴市を知って、海のザクロの市と書いて、どうして「ツバイチ」と読めるのかな~?くらいにしか思っていませんでした。歌垣についてはほとんど何も知りませんでした。

金屋河川敷で毎年開催される万葉まつりの海柘榴市

古代大和の水陸のいちばん賑やかな交差点で、近くに大きな国際見本市のような市があったと伝えられるのが海柘榴市です。写真はその海柘榴市に因む「万葉まつり」というイベントでの露店ですが、古代の海柘榴市はこの何十倍ものスケールがあったことでしょう。

そして、古代の海柘榴市の大きなイベントであったのが歌垣と伝えられます。歌垣というのは、海柘榴市のような山、野、河、海などの霊的なパワーをもつ場所に村の老若男女が集まり、夜を徹して歌の掛合いをするのです。そしてそれは年に一度のお祭りとして、性の解放が共同体社会の中で許されていた一日でもあったというあたり、興味津々です。

万葉の始まりは「カノジョォ~!なんて名前~?」

性の解放といっても、それがごく自然なことであったのは、万葉集のトップバッターが、「籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち…」の第21代・雄略天皇の歌からも想像できます。意訳ですが、
「いいかごを持ち、いいへらを持って、この丘で若菜を摘んでるらっしゃるお嬢さ~ん、家と名前を教えてよ。この大和の国には俺ほどお得ないい男はいないよ。だからさ、家と名前を教えてよ。」
はっきりいって、このナンパの歌で始まるのが万葉集です。万葉の時代は今よりももっと開けた、恋多きことは素敵なことよの時代であったのでは?と歌垣の背景を考えると楽しいですね。

「出会い系特設会場」の歌垣もある海柘榴市はパラダイス やまと万葉祭でのステージ

写真は、海柘榴市の跡とされる金屋の大和川河川敷で催された万葉祭でかつて撮った写真の一コマですが、若者が狂おしいほどに熱く踊る姿に、素直に感動しました。しかしこの場所海柘榴市で歌い踊る歌垣のルーツも万葉集にありました。あの有名な万葉歌人柿本人麻呂の歌に、海石榴市の歌垣が描かれています。超意訳になりますが、「この海石榴市の歌垣で、足で大地を踏み慣らし平らになってしまうほど踊り狂って、お互いの帯の紐を結んで睦みあい愛を交わしたわたしたちが、夜が明けるとこのいとおしい紐を解いて別れなければならない、そんな朝なんか来なければいいのに…」

そうだったのか!海柘榴市はよほど楽しいパラダイスだったのですね。そのことを柿本人麻呂公が代弁されていたというわけです。性に開放的でおおらかな時代ではありましたが、それを許されるのはせいぜい年に一度。待ちに待った晴れのお祭日です。踊りも狂おしいほどのセックスアピールを伴うものであったことでしょう。だから地面がまっ平らになっちゃった。

そこで連想してしまうのが、天照大神がお隠れになった天岩戸の前で、絶世の美女神・天鈿女神(あめのうずめのみこと)が豊満な女の武器を派手に揺すり見せびらかせ踊り狂ったというという、あの神話です。彼女はついに腰の紐を解き、一糸まとわず踊り続けたので男神たちが沸きに沸いた、、。

歌垣は、あっちでもこっちでも歌ったり踊ったりしながら、男女がアピールしあえるような出会い系特設会場のあるお祭広場といえばイメージが近いでしょうか。男女十数人くらいずつ向かい合って座り、全身全霊を込めた歌や踊りで自己をアピールしなければなりません。そう簡単には恋が成就しないのが歌垣の決まりだからです。そして歌垣の本当のお楽しみは夜の部なのでした。そのお話は次回夜の部に。(陽)

-2008・12・25-

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