飛鳥京・藤原京~平安京踏破てくてくレポート

「古代の要衝、地元桜井を歩く」その2

まほろばの道を歩く10区間のうち、都合3回にわたって歩いた地元桜井。その中で分かったことは、思っていた以上に古代の桜井は交通の要衝としてとんでもなく賑やかなところであったということです。飛鳥京、藤原京と奈良の平城京、さらには伊勢路、大和川の水運で難波津にも結ばれていたということは、大陸にも開かれた内港だったということにもなります。桜井の今まで知らなかったことを中心に4回に分けてレポートします。

夜の部は、神様からのスペシャルプレゼント。 金屋河川敷で毎年開催される万葉まつりの夜の風景

写真は何年か前の万葉まつり川舞台の夜の部です。古代の歌垣も夜の部が本当のお楽しみだったことは容易に想像がつきます。だって、待ちに待った神様からの年に一度のスペシャルプレゼント、性の解放が許された特別な夜なんだものね。

またまた超意訳です。これは筑波山あたりの歌垣の万葉歌「連れもって行こうよ、乙女も若い衆も集う歌垣へ。私ゃなんたって人妻と交わるんだもんね。どなたかわが妻にも声をかけてやってくださいな。」(『万葉集』巻九。筑波山)。歌垣に集うのは独身男女だけではないみたい。なんともまあおおらかな。

大らかといえば、世界に目を移すと、なんたってブラジルのリオのカーニバルでしょう。パワフルな踊りでセックスアピールし、気の合ったカップルが夜の闇のなかでうごめくイメージ。主催者は大量のコンドームを配るといいます。歌垣のイメージにもちょっぴりダブるかな。

国内でも、歌垣に限らず、夜祭りや盆踊りの日が、性の解放日になっていた例はかつて全国的に見られたようです。ほかに楽しみのない農村において、独身男女もマンネリ夫婦も一晩の無礼講で気分を一新し、また一年を頑張ろうと思える唯一の楽しみになってた、なんてことは大いにありえたのではないでしょうか。

とはいえ、婚姻関係には親や有力者の影響力が強かったと思われる古代のこと、本来の好き同士が歌垣のような機会を利用して、七夕さんの彦星と牽牛のような逢瀬を重ねた、なあ~んて悲話もあったかもしれませんね。

恋を成就できたカップルは夜の巷のいずこへ? 金屋の街道筋

ところで恋を成就できたカップルは夜の巷のどこへ消えたのでしょう?
現在もひなびた佇まいをみせる金屋の街道筋です。おやおや、屋根の上に大根が干してあったり柿が吊るされていて、何とも長閑な情景ですが、現在の山の辺の道の一部になります。海柘榴市があったの場所は古くからの宿場町として栄えたこの金屋の町外れとみられます。

この写真から古代の繁華街のイメージはちょっと想像しにくいですが、現代でいえばいっぱい飲み屋がつらなる街に繰り出した感じだったのでしょうか。今と違うのは街道筋に煌々と灯る明かりもなく、片や妖艶な人妻と、此方逞しい若衆と手に手をとって闇に消えた夫婦がすれ違ったとしても大丈夫だったことでしょう(たぶん)。

清少納言もお参りしたかも。海柘榴市観音 海柘榴市観音

平安時代の金屋は、長谷詣での宿泊地として、また海柘榴市観音のご利益を求める旅人たちで栄えました。清少納言は「市は、たつの市、さとの市、つば市。大和にはあまたある中に、長谷に詣づる人のかならずそこにとまるは、観音の縁のあるにや、と心ことなり」と海柘榴市観音のことを枕草子に記しています。その観音様は今も観音堂に鎮座されています。長谷寺に参拝するものはこぞって観音様がおわす金屋に宿泊し、供物などを整えたようです。次回と次々回は陽の地元箸墓古墳のレポートです。(陽)

-2008・12・27-

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