飛鳥京・藤原京~平安京踏破てくてくレポート

「山田寺から廃寺の道を桜井まで歩く」その2

山田寺跡から廃寺の道を桜井へ。今回は廃寺の道のレポートです。前回書いたように大脇先生の資料には世界の寺院の塔の比較図がありました。その中に今回の吉備池廃寺の九重の塔があります。現地の吉備池で塔の基壇を眺めながら、あそこに現在のビルでいえば25階建てのペンシルビルがあったんです、との説明にみんな、へえ~!

現場の背後の煙突が5階の高さとすればその5倍の塔がここに!! 左:塔跡 右:吉備池廃寺金堂跡で大脇先生

吉備池廃寺は田んぼの中のため池吉備池のほとりに、塔跡と金堂跡の基壇だけが残っています。塔の基壇を法隆寺の基壇と比べると2倍の一辺28mもあるので、その高さが類推できるのだそうです。ちょうど塔の基壇の背後に工場の煙突が見えますので、その煙突の高さを5階建てビルのくらいと見立てると、その5倍もの高さのものがあそこに建っていたなんて!!自分の心の中でもう一度、へえ~!と叫んでいました。

考古学の先生の引率できたウオーキングならではの楽しさです。考えてみると廃寺の跡なんて山田寺を含めて、何にもありません。吉備池廃寺も池のほとりに土が盛り上がった箇所が2箇所あるだけでした。ただこの場所は、大脇先生のご自宅にも近く、犬の散歩コースに入っていたとのこと。どうも瓦の破片がたくさんあるので、瓦の窯の跡があるかもしれないと思い、教育委員会の人にもそんな話をしていたそうです。

発掘調査の結果、お寺の跡であることがわかりました。「そこまで予言していたらたいしたものだったんだけどね。瓦が専門だから、ついそちらの方に考えが行って、惜しいことをした」と大脇先生。門外漢には想像できませんが、考古学の分野でも、発掘のヒントを提供したのと、新発見のきっかけづくりではきっと重みが違うのでしょうね。

大脇先生の考証は「青木廃寺は長屋王が建てた寺」 左:青木廃寺近くの泥かけ地蔵 右:葵廃寺道中の瓦片

今回の廃寺のウオーキングで、大脇先生のお仕事の新発見というか瓦を切り口にした考証の実績を目の当たりにする場面もありました。青木廃寺のふもとの池の泥かけ地蔵の側にあった青木廃寺の案内板(桜井市教育委員会)です。「ここからは、創建当時の瓦をはじめ時代のわかる陰刻のある瓦が出土している。この寺は、奈良時代の悲劇の帝相長屋王が、父高市皇子の冥福を祈って建てたと大脇潔氏が考証」と記述されていたのです。

そういう考証がなぜ可能なのか?大脇先生によれば、創建当初の瓦が、平城京内の長屋王邸跡で集中的に出土した瓦と同じ型のものだったからとか。先生はこういう研究をされている考古学者なんだとよくわかりました。青木廃寺は山道に倒木なども散乱しているので危険とのことで、途中まで行くだけになりましたが、道中にも瓦の破片がいっぱい落ちています。とても貴重なものも含まれているはず。ま、台風の倒木が遺跡を保護してくれている一面もないとはいえないと、先生は笑っておられました。

保護屋根が壊され残念な安倍寺瓦の窯跡 瓦窯跡

今回もう一箇所訪れたのは安倍寺跡とそのすぐ先にある安部文殊院。安倍寺跡では、大脇先生が非常に残念がる光景がありました。安倍寺跡には鎌倉時代、安倍寺が現在の安倍文殊院に移転した際焼いた瓦窯跡が5基残っています。その窯跡を風雨から保護するために設けられた屋根がことごとく破壊され、屋根がないのと同じ状態になっていました。古代の瓦や瓦製造施設からどれだけ値打ちのあるものか、ようやくわかりかけたボクにもそれはショッキングな光景でした。

われわれにできることは、ホームページでそんな啓蒙のお手伝いくらいです。自分でも知らなかったことですから、一人でも多くの人に伝わるようにていねいに書いていかなければの気持ちです。(陽)

-2009・2・13-

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