飛鳥京・藤原京~平安京踏破てくてくレポート

第十回「高樋町から石上神宮へ古墳の道を歩く」その1

昨年4月から10回、10区間に分けて古の都、飛鳥京・藤原京~平城京を歩く試みが本年2月でようやく完了しました。来年は平城遷都1300年になりますから、その1年前に古道を通って遷都の道を歩き通したことになります。昔の人にとって歩いて通いなれた道は、今歩いてもやっぱり親しみのもてる道、道草したくなる面白い道なのでした。

この丘の向こうに、なんと天皇の防空壕があったとか。 防空壕の丘

最終回もその例にもれません。今回面白かった一つは、天皇陛下の避難所として作られた防空壕のお話でした。天理の石上神宮といえば武の物部氏の氏神様。その物部氏の長老のものと思われる古墳を案内していただいた道すがら、古墳の裏側に通じるような道が鎖で塞がれています。今回案内してくださった郷土史家U氏がすかさず「防空壕」が崩れかけて危険なので立ち入り禁止にしているんです」

U氏によると戦争末期には、天皇の避難所がいくつか作られていたうちの一つだそうです。へぼ将棋では終盤に王将を動かし退避しなければならない場面がしばしばありますが、スパイの目をかく乱するためにも、実際に使うかどうかは別として、あちこちに防空壕を作られたのでしょうね。現在77歳のU氏は何十年か前、その中に入ったことがあるそうです。そんなに広くはなかったとのことですから、やはりダミーだったのかもしれません。

ちょっと怪しい遊び場だった、防空壕の思い出 左:古墳の入り口 右:古墳の説明をするUさん

ボランティアガイドも兼ねておられるU氏の案内がなければ、郷土史を案内する看板もなく、物部氏の古墳の入り口も知らないままだったことでしょう。みんなの興味度をすかさず読み取って、長年蓄積した知識のポケットからいろんな面白いお話が飛び出します。天皇の防空壕もU氏のそんな隠し玉の一つかと思われます。

ボクはボクで、「防空壕(ぼうくうごう)」という言葉を聴くだけで、記憶は60年の時空をひとっ飛び、地下へハシゴで降りていく記憶のポケットにストーンとたどり着きます。戦後まもなくの頃ですから京都府の田舎の家々に防空壕跡が残っていたのです。そこには籾殻が敷いてあって、サツマイモの貯蔵庫になっていました。空襲があると家族が逃げ込んでしばらく隠れていることができる空間だったのでしょうね。

戦後は格好の子供の遊び場になっていました。入り口が天窓みたいになって、薄暗いけどかえって怪しい雰囲気が、子供たちをお医者さんごっこに誘います。それも小学校に上がる前までの男の子や女の子ばっかり。お医者さんごっこですから、服や下着を脱いで裸になって見せっこするのです。といっても薄暗いので、手でくすぐりあったりして触診し合うのが、何ともスリリングだった感触を覚えています。

小川の水

今回古墳の足元にきれいな小川がさらさら流れていて、もう一つ思い出したことがあります。防空壕から這い出して、明るいお天道様がみている茶畑の小川のほとりで、男の子と女の子がおしっこの飛ばしあいをした情景です。リーダーシップを発揮したの近所の年上のお姉ちゃんでした。女の子はしゃがまないとできないことを率先して見せてくれました。男女の体の違いをようやく納得した瞬間です。

防空壕は「学校行き」になると足を洗う不文律のようなものがあって、ほどなくしてお姉ちゃんは遊んでくれなくなりました。われわれちびどもは小学校の校庭まで追っかけをしたようなこともありましたね。2つ3つ年上だと思いますが、あのお姉ちゃん今頃どうしているのでしょう。きっと茶畑のことなど覚えていないでしょうね。

今まで天理市の郊外を歩いたことはありませんでしたが、宗教都市の中心部と素朴な田舎道の極端な対比をちょっと面白いなと思いました。次回はこのシリーズの最終回、天理教本部前の天理参考館も訪ねますので、どんな締めくくり方ができるか楽しんでみたいと思います。(陽)

-2009・2・23-

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