昨年4月から10回、10区間に分けて古の都、飛鳥京・藤原京~平城京を歩く試みが本年2月でようやく完了しました。来年は平城遷都1300年になりますから、その1年前に古道を通って遷都の道を歩き通したことになります。昔の人にとって歩いて通いなれた道は、今歩いてもやっぱり親しみのもてる道、道草したくなる面白い道なのでした。
最後の最後に訪れたのは、天理教本部の真向かいにある「天理大学付属天理参考館」です。万博公園にある国立民族学博物館とちょっと雰囲気が似ているといえばわかりやすいでしょうか。民博大好きのボクとしては、お隣の天理市にあるミニ民博・天理参考館も〝いつか行く、たぶん寄る〟と思い続けていたところの一つだったのです。
1階から3階まで観て、もう一度観たくて戻ってきたのが、「母から娘へつなぐ織り――メキシコ・グアテマラ――」コーナーでした。この辺りの村々では、衣装は今も“原始機(げんしばた)”を用いて手織りされているそうです。写真の人形もそうですが、実際の写真パネルでも若い娘さんが上半身裸で機を織っていました。
展示されているのはウィピールと呼ばれる多くの色糸を織り込んだ貫頭衣状の上着や美しい総模様の腰布。きっとこの美しい民族衣装を女性が身に着けるのは、お祭りやお出かけのときの晴れ着に違いありません。そして普段の生活では女性は腰布だけで上半身には何も着ないのが、何百年以上前も同じ当たり前の生活なのではないかと思います。もっとも、現在はエプロンなどを着けるように指導が行われていると注釈がついていましたが。
日本でも最近では和風を再評価する世の中の流れも感じられます。ただ晴れ着としての和服は今も息づいています。和風の心地よさを見なおすには、圧倒的に多くの時間をすごす普段着に和を取り入れてこそではないでしょうか。グアテマラの娘さんたちが裸で機を織るにはそのほうが心地良いから、と同じ意味でね。
エプロンを着けるようにとの指導は、パンティを知らなかった江戸時代や明治の女性にパンティをはくように指導したようなものかも知れませんね。ボクが子供の頃、祖母あたりは下着といえばお腰(腰巻)で、パンティなどはいていませんでした。小川のほとりにタライと洗濯板をもちだしては上は半襦袢、下はお腰一枚で洗濯していました。機織の娘さんには半襦袢のようなものを着ける伝統がないだけで、似たようなもんでしょう。
同じコーナーにメキシコの織物もありました。肩掛けの帯の部分を見ると、雅楽の装束に使う平緒や垂緒と似ています。色糸を織り込んで、人物・鳥・馬・植物などの文様を華やかに表現するのは世界共通の織物の原点をみた思いがしました。その原点からそれぞれの国オリジナルな衣装がいろいろな淘汰を経て今に至っています。が、未来永劫今の姿が続くとも思えません。
インターネットで情報の交流が盛んになればなるほど、お国自慢できるようないいところ、その国の気候でこそ心地良い日常着がもっと見直されるような気がします。グアテマラの機織の娘さんも普段着としての腰布一丁の心地良さを止めなくたっていい。晴れの日には思いっきり輝く宝石のような衣装があるのだから。
ボクなども日常着としてジーンズがすっかり定着していますが、ジーンズ地でできた作務衣等の普段着の和の選択肢がまだ残っているといつも心の隅で思っています。相棒にもソフトジーンズ地で「もんぺ」感覚の和の普段着があるといいなと思います。昨今浴衣が結構復活してきたのは同慶の至りです。できれば家にいるときくらい下着を着けず素肌に浴衣なんていうのも心踊る伝統そのものだと思いますよ。
古の都飛鳥京・藤原京~平城京間の50kmほどの古道紀行、テクテクレポートはいったんこれで終わります。有難うございました。(陽)


