鉄馬ツーリングレポート ’98.6 .17
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ルートの途中にある和束の里は小さい頃からよく耳にした地名だった。というのは、生まれてまもなくから10年余り住んだ母の里I町から東へ10qのところにあるのがが和束だった。また父の里K町からも北東へ10qというところに和束があった。しかし行ったことがなかった土地に、女房ときたら2度も3度も行っているというのはちょっとしゃくだった。しかも、茶の香りがする長閑ないいところだという。 一度一緒に行こうといいながら、計画した日が雨だったりして、一人で行くことにした。ボクのまだ知らない桃源郷が待っていると思うと、矢も盾も溜まらなくなったからである。母の里の方からのルートから和束へ出、信楽に行き、帰りは和束から父の里経由で戻ってくる計画である。 母の里は、もう今は誰も住んでいなくて、20数年ぶりくらい、和束に通じるルート脇の玉川を遡るのはハイキングに行って以来30数年ぶり。街はすっかり変わっていて、幼いころ親しんだ家々はほとんど装いを改めていた。5年生まで通った小学校は、こんなに校庭が狭かったかなと、愕然とした。 ふる里の街は昭和28年の南山城大水害で大きな痛手を受けた。その傷がまだ癒えない昭和30年に大阪へ引っ越したので、その後ふるさとの表情が大きく変わるのは仕方のないことだった。その中で、台風のたびに蔵に避難させてもらった衣料雑貨の老舗S店は、店構えも生き生きとしていてホッとした。少し先輩の同窓生がいたと思うが、その子供さんあたりの代になっているのかも知れない。 魔性を秘めた可愛い手のひらのような水源池
前のめりぎみに峠道を降りていくと、懐かしい京言葉が耳にやさしかった。「道の駅はどちらですか」「まっすぐ半里ほどお戻りやしたら、左側におすえ」「おおきに、ごめんやす」ヘルメットをとってお辞儀しなければ悪いような気がした。
父の里K町まで戻るのもあっという間だった。だいたいにおいて往きより帰りの方が早く感じるということもあり、帰りに寄るつもりの道の駅を見過ごしてしまった。レストランだと思った建物がそうだったようだ。どこかで美味しい蕎麦でも食べようと、お弁当は少な目にしたので、お腹ぺこぺこのまま帰ってきてしまった。家で、水ナスでも出して、京のぶぶ漬けでも掻き込むとするか。 by陽 |
